祝画業50年

僕が初めて「ドカベン」に出会ったのは小学3年生の頃。
兄が持っていた少年チャンピオンコミックスを読んだのが最初です。

小学4年生になると、クラブ活動が始まりました。
ホントはソフトボール部に入りたかったのですが、人数制限があり抽選で外れた僕は、1年間漫画部にいました。

周りのみんなが「キン肉マン」「キャプテン翼」を描く中、もちろん僕が真っ先に選んだのは「山田太郎」でした。

世代は完全に「少年ジャンプ」世代です。
でも、当時連載されていた「大甲子園」見たさに、何かのイベントの帰りに国鉄(当時)の大阪城公園駅で兄に「少年チャンピオン」を買ってもらったのは今でも覚えています。
丁度、「明訓―青田」の真っ最中でした。

今文庫本が発売されていますが、昔の少年チャンピオンコミックスには表紙の一部にキャラクター紹介が載っていたんですよ。
"江川学院の中はこうして誕生した"とか細かく。
あれを見るのが、好きだったなあ。
古本探しに行こかなあ。

好きな試合はいっぱいありすぎて、一つに絞る事なんてとてもできません。
夏で言えば1年の県大会初戦の白新戦。山田のグリップに当たった打球が満塁本塁打になるシーン。
2年は県大会決勝の横浜学院戦。9回裏、山田の同点タイムリー。相手捕手・谷津との
読み合いは凄すぎます。
甲子園でのBT学園戦。隼達が何とか得意のナイターに持っていこうとするアイデアもホンマおもろいです。
唯一負けた弁慶戦は言わずもがなの名勝負。サヨナラ負けのシーンに名脇役・石毛の送球が絡んでいるところにドラマを感じます。
3年はまさに「大甲子園」。
全部好きですが、敢えて言うならば、「明訓―青田」を準決勝に持ってきたところに青春を感じさせます。
お客さんの台詞"どっちかが(決勝までに)消える~"がすべてを物語っています。

作品中の新聞も魅力です。
"抜群 山田太郎 今すぐプロでも通用!!"とか"岩鬼 5ランだ"とか見出しがオモロイ。

つまり、僕は作者・水島新司さんにほぼ25年魅了され続けてきました。
水島さんの作品で野球が好きになり、いろんなルールを覚えました。

水島さんは、今年、画業50年を迎えられました。

そこで一言。

「これからも、熱きドラマをたくさん描いてください!!」

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カナダへの手紙

かつてはブラジル代表のロナウジーニョもそうでした。
最近では2年前、アルゼンチン代表のメッシもそうでした。
サッカー若手有望株の登竜門といえば、「U-20ワールドカップ」。
(かつてのワールドユース選手権。今回から名称変更)
いよいよ6月30日(現地時間)からカナダで開幕します。

前回は平山・カレンら今年のオリンピック代表で活躍している面々が世界の同年代の強豪と戦いました。

今回、日本は8大会連続での出場となります。
24人の選手はすでにカナダに出発していますが、私の注目はFW森島康仁選手。

森島選手は地元滝川第二高校出身。
身長は186㎝で高校時代から大型ストライカーとして高校選手権でも活躍してきました。
今所属しているセレッソ大阪の元日本代表・森島寛晃選手と対比して愛称は"デカモリシ"!

すごく人なつっこい"奴"です。
かつて私は「熱血!タイガース党」でラーメンを作りました。
その放送直後、当時高校3年の彼に会う機会がありましたが、顔を見るなり「ゆあっさん、ぼくにもラーメン作ってくださいよ!」
握手してきたこともありました。

負けん気も強い"奴"です。
今年は2月に一つカテゴリーが上の「U―22(オリンピック)代表」に選ばれ、1試合親善試合に出場しただけで落選となりました。
その後、会ったときに「すみません。点を取れませんでした。メッチャ悔しいっす。」と笑顔を一度も見せませんでした。

彼には1つ上のお兄さんがいます。
同じ時期に滝川第二でサッカーをしていました。
弟は、三浦泰年・和良兄弟のようになりたかったそうです。
でも兄は高校3年の冬の全国選手権、直前に登録メンバーから外れました。
弟は"兄の分まで"と発奮し、2年生ながら得点を挙げ、プロへの足がかりを作りました。

お父さんはPL学園で野球をしていました。
高校時代は甲子園出場の経験もあります。
「昔は"野球をしたら"とお父さんによく言われました」そうです。
でも6歳の時に沸き起こった"Jリーグブーム"。
スター・三浦和良選手の姿に惹かれた彼は、サッカーを選択しました。
今でも、お父さんは暇を見つけてはセレッソの練習場に足を運びます。
「ゆあっさん、ビシッと言ったってくださいよ!!」
と私に会う度におっしゃるお父さん。
今や、"デカモリシ"の一番の理解者です。
ちなみにお父さんは息子以上に"デカイ"です。

初戦は7月1日14時15分(現地)、相手はスコットランド。
家族の夢、そして日本の夢を背負って戦う"デカモリシ"の爆発に大きな期待を寄せています。
悔いを残すな~!!

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5月18日

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今日は、久しぶりにいぶきの森グランドに行って来ました!

目的は、ヴィッセル神戸の近藤祐介選手のインタビューです。

近藤選手は先日、日本代表候補に選ばれた若きストライカーです。

「テレビで喋るのは苦手」と言っていましたが、予想に反して(?)

いろいろと話してくれました。

自身のこと、チームのこと、そして日本代表のこと・・。

詳しくは、来週21日放送の「ニュースシグナル」内の「アナスポ」をご覧下さい。

ちなみに、キャプテン翼で好きなキャラクターはあの選手だそうです。

翼ではなく、三杉でもなく、カミソリシュートの早田でもなく。

詳しくは「アナスポ」で!!

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潜入!!

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さて、これはどこで撮った写真でしょう。

ヒント①日本一の広さ

ヒント②昨年比1.7倍

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ヒント③茶色の木目のテーマは“リラックス”

ヒント④側にはお風呂とトレーニングルーム

ヒント⑤今春、甲子園横に完成

そうです、新聞でもご覧になられた方も多いでしょうが、
「阪神タイガース 新クラブハウス」にて撮影したモノなのです。
中でも、写真の答え=ロッカールームは綺麗です!大きいです!かっこいいです!!

天井までも3メートル近くあり、余計に広さを感じさせます。
選手の要望もかなり取り入れられていて、私が座らせてもらった椅子にはリクライニング機能も付いています。

ベンチ入りは25人、登録は28人という一軍ですが、ロッカーそのものはおよそ50、用意されています。
12球団で最も広いそうです。
一番上に選手名が記されていましたが、現段階では暫定とのこと。

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ちなみに、金本選手は能見選手と筒井(和)選手に挟まれています!
昨年まで使われていたロッカールームにはもちろん、入ったことはありません。
(色の基調は白)
おそらく、私が選手にでもならない限り、つまり普段はまず、選手・関係者以外立ち入ることができないスペースです。

すぐ横には、大きなお風呂(写真④)とウェート器具がたくさん置かれたトレーニングルーム(写真⑤)が併設されています。
サウナあり、ジャグジーありと、さながら“ミニ温泉”。

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「広々とした空間で、快勝気分を満喫!」
「お風呂に入って明日への英気を養う!」
そして・・・、
「今年の阪神タイガースは連日勝利、間違いなし!!」

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まもなくJ1開幕

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いつもホントに明るい朴選手

プロ野球より一足早く開幕のJリーグ。
もちろん注目は、2年ぶりのJ1復帰の地元ヴィッセル神戸の戦いぶりです。
そこで、先日、兵庫県出身・朴康造選手の取材も兼ねて、練習グランド「いぶきの森」に行って来ました。

午前と午後の二部練習の日で、朝は、雨と強風のため少し短縮。
私が行った午後は雨も収まって、通常通りの練習が行われました。

開幕まで2週間あまりという時期ですから、実戦を意識したメニューが目立ちました。
特に守備。
マークの受け渡しから、ディフェンス時のクリアボールの質までかなり細かい部分を松田監督が中心となって調整していました。

J1で生き残っていくためには・・・。チームの意思統一がはっきり、感じられました。

さて、お目当ての朴選手はここまで至って順調に調整してきたとのこと。
詳しくは、

来週19日月曜日の「ニュースEyeランド」

をご覧下さい。

私個人として是非取材に行きたいのは、ガンバ大阪戦。
相手には、滝川第二高校で同級生だった加地や兵庫大会決勝の相手・琴丘のエースだった播戸ら同い年の選手がたくさん在籍しています。
新たに日本代表に選出された橋本もそう。
今年のJ1唯一の“関西ダービー”、今から胸が高鳴っています。

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2007年1月4日

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先発イレブン!

2007年1月4日。
2日前に負けた滝川第二高校一行は、そのまま神戸に帰るはずでした。
そんな時、一本の電話が黒田監督に入ります。
「最後に練習試合をしてくれませんか?」
声の主は、大会期間中、グランドを提供していた神奈川県・橘高校の監督でした。
「もちろん、やりましょう!」
こうして、"滝二・黒田監督"としての最後の試合がこの日、行われる運びとなったのです。

30分×3本という変則形式。
9時30分、快晴の青空の下、キックオフの笛が高らかに鳴り響きました。
メンバーは、前夜主将・山本翔太を中心に話し合って決めたメンバー。
3年生全員がベンチ入り。もちろん、選手権のメンバーから外れた3年生も出場。
交代は基本的に自由でした。
ポジションを見てみると・・・、まあ何と驚いたことか。
GKがDFをしたり、FWがGKをしたり、様々!
滝二のユニフォームでの最後となる試合で、 "一度はやってみたかった"、あるいは"かつてやっていた"ポジションを担当する選手達。
その表情は、"サッカー小僧"そのものでした。

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指揮する黒田監督

2本目を終了して5-3で滝二がリード。
そして、3本目。
一人の選手が試合に出場しました。
その名は、橘章斗(あきと)。
本大会、彼は滝二の10番を背負いながらも、左足首骨折(全治一ヶ月)のため試合に出場する事はできませんでした。
報道では、回復も順調で勝ち続ければ出場も可能と言われていました。
そんな彼が、まだ完治していない足をやや引きずりながら、仲間とともにセンターサークルに向かっていきました。

初戦の前日、宿舎で「足が折れてでも試合に出たい」と涙を流しながら黒田監督に話した彼。
「本当は辛い気持ちもあるけど、でも気持ちを切り替えてチームのために何でもする」と開会式前に国立競技場で私に答えた彼。
「最後はお前と同じピッチに立っていたい」とチームメートからたくさんの勇気と元気をもらった彼。
すべての思いが、この瞬間結集したのです。

もちろん、まだ全力は走れません。
でも、痛みなどどこ吹く風、ボールを懸命に追いかけます。
プレーを見ていて、もし滝二が決勝まで駒を進めていてもよほどの展開でなければ出場は無理だったというのが正直な感想。
それでも、サッカーの神様は最高の舞台を贈りました。
ボールを蹴るという当たり前の行為とともに、橘章斗の高校サッカーは終わりを告げることができました。
試合出場、わずか10分。一杯一杯でしょう。
それでも「あと10分プレーしていたら得点できたのに!!」
締めくくりは無邪気な笑顔でした。

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最後は笑って集合写真

創部23年目にして、負けたチームが試合をして神戸に帰るのは初めてだったそうです。
そこには、"レギュラーになるぞ""しっかり自分をアピールしなければ"といった気持ちは全く存在していませんでした。
あったのは3年間苦楽を共にした仲間と一秒でも長くサッカーボールを蹴っていたい、その思いだけでした。

「滝川第二(兵庫)6-3橘(神奈川)」
これが、黒田監督にとっての最後の試合。
3年生にとっての最後の試合。
次なる人生に向けた最初の試合。
至る所に、"情熱"に満ちあふれていました・・・。

2006年から2007年にかけての年末年始は本当にいろいろなパワーをもらいました。
アナウンサーとして、社会人として、人間としてこの経験を生かしていきたいと思います。

4回に渡るコラムにお付き合い頂きありがとうございました

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2007年1月2日

年末年始コラムシリーズ第3弾。

滝川第二高校にとって運命の1月2日武南(埼玉)戦を迎えます。

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試合前は余裕のポーズやったのに!

試合会場・埼玉スタジアム2002。
滝二にとっては、思い出の地。
そう、昨年10月、全日本ユース選手権の優勝を決めた地。
創部23年目にして初めて「全国優勝」というタイトルを手にした地なのです。
ただ、黒田監督はその事を必要以上に選手に言いませんでした。
「このあと、(滝二にとっては)苦手な(埼玉)駒場スタジアムの試合も控えているし。あまり球場云々というのは意識させない方がいいかなと思って。」

試合前のロッカールーム。
選手は音楽を聴いたり、テーピングをしたり、静かな時間をそれぞれ過ごします。
それは、監督も同じ。
ただ、室内にはクラシックが流れていました。
4年前初めて取り入れた手法です(この時は4年ぶりにベスト4に進出)。
「ま、いろいろとね・・・。」
やはり、この日も、監督は色々考えながら選手の気持ちを高めていました。

試合開始30分前。
偶然にもロッカールームで監督と二人きりになりました。
そこで、監督は突然グランドコートの下に来ていたシャツを見せてくれました。
そこには、無数の文字が!!
何と、選手権の出場メンバーに選ばれなかったサッカー部員全員からの直筆メッセージが所狭しと書かれていたのです。

「頑張れ!!」「和生 LOVE」などなど。
監督は常々、控え部員の気持ちを大切にして指導してきました。
その思いは確実に教え子たちに通じていました。
そして、本当に嬉しそうな顔で私に言いました。
「このシャツを着て、勝利監督インタビューしたいね・・・。」
勝った後のインタビュー、担当は地元局のアナウンサーがします。
滝二はもちろん、私。
「やりましょう!絶対できますって!!」
負ける気は全くしませんでした。

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上着を着ている黒田監督

12:10試合開始
この日はサブの赤のユニフォームで登場した滝二。
ちなみに今大会からサブで紺のユニフォームが認められず、赤で試合をするのは選手権では初めて。

そのせいでは無かったと思いますが、なかなか立ち上がりからペースをつかめない滝二。
前半30分過ぎの決定的なシュートも相手DF④幸田のスーパープレーでゴールならず。
0-0で折り返しました。

ハーフタイム。
「ディフェンス!踏ん張ってくれ!!前の選手が絶対点を取ってくれるからな!!」
声の主はチームの中心・金崎(卒業後はJ1大分へ)でした。
普段は明るい性格でチームメートを盛り上げる彼の怒号にも似た大きな声で
また、イレブンの思いはひとつになりました。
黒田監督も
「今日のテーマは“希望”だったけど、本当に“希望”の持てる試合だ。負ける気はしない。あとはゴールに一直線だ!」と気合いを入れ直しました。

そして、後半。
8分でした。
一瞬の隙を付かれて、失点。
県大会でも先制されたことがなかった滝二にとって苦しい展開に。
その直後でした。

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シャツ姿に変わった黒田監督

決して暖かくはないベンチで、グランドコートを脱ぎ捨てたのです。
当然、中には“滝二”のシャツ。表面には、控え選手の直筆メッセージ。
そして、ベンチの前に出て仁王立ちとなりました。
「(ベンチに入れない)みんなも付いている。まだまだ、これからやぞ!!」
黒田監督の無言の激でした。
横で見ていて、私はビックリしました。
でも、すぐに意図は分かりました。
すかさず、リポートを入れました。
この姿でインタビューをしたい、いや必ずするんだという気持ちを込めて・・・。

しかし、願いは叶いませんでした。
終了間際に1点を返したものの。1-3で敗戦。完敗でした。

試合が終わった瞬間の黒田監督はと言うと・・・、涙はありませんでした。
少し笑みがこぼれていました。

大会前に「最後の試合が終わったときどんな表情していると思いますか?」と意地悪な質問をしました。
「勝って終わるのが最高ですが、例え負けても選手が全力を出し切ってくれればそれで、いいです。」と話していた黒田監督。
選手も応援団もコーチももちろん監督も、全力を出し切りました。

戦いは終わりました。

翌日、夜のミーティングでは3年生は後輩達に向けて、2年生は新チームの抱負を全員の前で発表しました。
すでに、チームはまもなく始まる新人戦に向け、動き出そうとしていました。
ミーティングルームから出た黒田監督を
「監督一緒に風呂に入りません?背中を流したいので!」と呼び止めた3年生。
「さっき入ったばかりやからなあ・・・。」と言いながらも笑顔でお風呂に向かった監督。
プレッシャーから解放された男達に安らぎのひとときが訪れていました。

しかし!このチームの戦いは実はまだ終わってはいませんでした!!
詳しくは次回のコラムにて。

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2007年1月1日

「湯浅さん、サッカー上手いですね!!」
2007年の私は、この言葉とともに動き出しました。

1月1日、10時から始まる滝川第二(以下滝二)の練習取材に出掛けると、そこにはコーチの小森さんと神奈川在住で滝二OBの片山さんの姿が。
ちなみに、片山さんは毎年、全国大会で母校のお手伝いをしている方です。

「まだ、選手が到着していないから、やりましょうよ!!」
片山さんの呼びかけで、滝二OBの二人とサッカー経験なしの32歳による奇妙な(?)三人組のボール回しが始まりました。

サッカーの世界では、新年最初の練習を「初蹴り」と言います。
静岡の強豪・清水商業では毎年1月上旬に「初蹴り」の行事が予定されていて、各OBがこぞって参加することで有名です。(選手権不出場の場合)

私はブーツを履いていましたが、おかまいなしに蹴らせてもらいました。
“キャプテン翼の松山君(ふらのFC)”に憧れて少しサッカーボールを触れ合ったことはありましたが、本格的にサッカーをしたことはありません。
まして、ボールを蹴ること自体20年ぶりくらいでドキドキしながらしてみると・・・。

冒頭の言葉に戻るわけです。

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宿舎で!一番左が小森コーチ、右から三番目が片山さん

お世辞とは思いますが、すごく嬉しくて、リズムよくテンポよくボールを回していきました。
すごくさわやかな気持ちで新年の朝を迎えられました。

そして、10分ぐらい蹴っていると“主役”の選手達が登場。

翌日の武南戦に向けての調整が始まりました。

以下、黒田監督との会話。
「前夜は3時くらい眠れなかったわ。でも朝6時に起きた。」(黒)
「何でですか?」(湯)
「ちょっと用事があって。」(黒)
「用事??」(湯)
その用事というのは、選手に年が改まり気持ちも新たにして欲しい意味も込めて直筆のメッセージを書くということ。
25人のメンバー全員ですから、やはり3時間くらいはかかったそうです。

滝二指導歴22年目の昨年、初めて試みたそうで、「選手も喜んでくれたから」と今年も実行。
睡眠時間を削りながら・・・、監督って大変やなあというのが率直な感想。
ただ、ベテラン監督でも常に何か変えよう、選手に刺激を与えようとするその貪欲な姿勢に感心するばかりでした。

そして、運命の1月2日へ・・・。
すいません、今回も長くなりましたので、次回にします。
なるべく早く更新します!

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2006年12月30日

大変遅くなりましたが、今年初のコラムとなります。
本年もよろしくお願いします。
さて、話題はやはり年末年始が中心です。
私は例年通り、高校サッカーの中継スタッフとして東京に行っていました。
今回の兵庫代表は6年連続で滝川第二高校(以下滝二)。
監督の黒田和生さんがこの大会を最後に勇退、さらには去年10月の全日本ユース選手権でも初優勝し大会の優勝候補に挙げられていたこともあって、首都圏開催(昭和51年)以降、「最も兵庫県代表が注目された」(ベテラン記者談)中での戦いでした。

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憧れの国立競技場!!

12月30日、開幕戦で滝二は登場。
その1時間前。開会式を黒田監督はピッチ側(そば)から眺めていました。
いつもは、スタンドからカメラ片手に教え子たちの晴れ姿を優しく見つめるのが恒例でしたが、さすがに今回は試合を直後に控えているとあって、そうはいかず。
ただ、初めて見る“選手目線”での入場行進は新鮮だったようで
「いいもんやなあ。最後にここから見るのも何かの縁やな。」と感慨深げ。
滝二のベンチに入れない5人の堂々とした行進を見届けると、すぐさまアップ場へ向かいました。

アップ場。先程までジャージ姿だった黒田監督はスーツ姿になっていました。
県大会でも全国大会でもこれまでスーツ姿は一回きりでしたから、ビックリしました。
その一回というのは、今から7年前の77回大会、
滝二が初のベスト4・国立競技場まで戦いの歩みを進めた大会でした。
私の驚いた顔を見て、「やっぱり国立は違うからねえ・・・。」とニコリ。
ネクタイは7年前に使っていたものと全く同じ。
加地(ガンバ大阪)や朴(ヴィッセル神戸)ら1998年春に卒業した選手たちから送られたネクタイ。
見た瞬間に鳥肌が立ちました。
7年前、入社1年目の私がベンチ横で見た国立での東福岡戦が一瞬にしてフラッシュバック。負けたときのあの悔しさ・・・、涙も出そうになりました。

試合前のロッカールーム。
黒田監督は「暁星高校は兵庫県で言えば、関学と小野高校を足したようなチーム。
つまり、球際に強く最後の最後まであきらめない集団だ!立ち上がりから攻めていこう!!」と激を飛ばしました。
そして、ピッチに向かう直前、監督・コーチ・トレーナー・選手全員で輪になって校歌を歌いました。ホントに大きな声でした。最高の雰囲気でした。
私は勝利を確信しました。

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黒田監督 初の国立インタビュー

13:10 いざ試合開始。
一番驚いたのは、応援団。それも暁星の。
小学校から系列校があるため、生徒やOBも多く、あらかじめ用意した赤のタオルを持っての応援スタイルは完全に滝二を圧倒。
暁星がボールをポゼッション(保持)すると、普通に会話することままならない状況。
滝二ベンチ横にいて、黒田監督も「うわ、凄いな」と予想以上の歓声に驚きを隠せませんでした。
ただ、チーム力で上回る滝二が終始、優位に立ち、結果的に2-0で勝利。
初優勝に向け、好発進となりました。

そして、運命の1月2日は!
すいません。これでも大分カットしましたが、1回ではまとめ切れませんので次回お伝えします。

早めに更新することをお約束して・・。

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再会

2002年夏。
高校野球兵庫大会の優勝候補はセンバツ優勝の報徳学園。
エース大谷(現早稲田大)、ショート尾崎(現日本ハム)らを擁した戦いは盤石そのもの。
前評判通り、決勝まで駒を進めていきました。

対する相手は、神戸国際大附属か市立尼崎か。
準決勝第二試合、9回表を終わって6-1で市立尼崎リード。
誰もが、池山さん(元ヤクルト)がいた1983年以来となる市尼の決勝進出を信じて疑いませんでした。
しかし・・・。
結果は、神戸国際大附属が9回裏に6点取って、奇跡の逆転サヨナラ勝利。
マウンドにいた市尼のエースは、マウンドで、そしてベンチで泣き崩れました。

報徳対市尼の決勝は幻に終わりました。

あれから4年。
あのとき涙に明け暮れた丸坊主のエースは、すっかりたくましくなりました。
気が付けば、プロ注目のサウスポーと評される逸材にまでなりました。
だけど、愛くるしい笑顔は高校時代とは変わらず。
寮生活を送った部屋にはUFOキャッチャーで取ったという「くまのプーさん」人形が所狭しと並んでいました。
素顔は普通の大学生。

4年ぶりの会話は自然と“あの夏の準決勝”。
「実は報徳戦でパームボールを投げるつもりだったんですよ。」
初めて聞いた衝撃の言葉。

パームボールとは変化球の一種で、手のひらにボールを乗せ、指は立てたまま添えて投げるというボール。球速は出ないが手元で不規則な変化をするため打者を幻惑するにはもってこいの球種です。
かつてはサンテレビ野球解説者小山正明さんや44年ぶり日本一の日本ハムOB・木田勇さんが得意としていたボールでした。

「そんなボール準決勝まで投げていなかったよね?」
「はい、決勝まで見せないでおこうと思っていましたから。」
高校生がそこまで考えていたのか・・・。
正直言って、ゾクッとしました。
もし、4年前、あのままスンナリ試合が終わって、決勝で両校の対決が実現していたら・・・。
ひょっとしたら、兵庫県の高校野球の歴史はまた変わったかもしれません。

だけど、一生忘れられないような悔しい負け方も今となってはいい思い出。
もちろん、野球を続けていく上ではいい教訓。
彼はそれ以来、9回のマウンドに上がる時は「まだ7回やぞ」とつぶやいているそうです。

「審判がゲームセットと言うまで一球一球、大切に投げなければいけないという事を学びました。」

そして、野球の神様は彼に次なるステージを与えました。
舞台はプロ野球、チームは・・・巨人!

そう、彼とは金刃(かねと)憲人。

来年、阪神タイガースに強力なライバルが出現しそうです!!

詳しくは10月30日放送の「ニュースEyeランド」をご覧下さい。

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