2007年1月4日

03
先発イレブン!

2007年1月4日。
2日前に負けた滝川第二高校一行は、そのまま神戸に帰るはずでした。
そんな時、一本の電話が黒田監督に入ります。
「最後に練習試合をしてくれませんか?」
声の主は、大会期間中、グランドを提供していた神奈川県・橘高校の監督でした。
「もちろん、やりましょう!」
こうして、"滝二・黒田監督"としての最後の試合がこの日、行われる運びとなったのです。

30分×3本という変則形式。
9時30分、快晴の青空の下、キックオフの笛が高らかに鳴り響きました。
メンバーは、前夜主将・山本翔太を中心に話し合って決めたメンバー。
3年生全員がベンチ入り。もちろん、選手権のメンバーから外れた3年生も出場。
交代は基本的に自由でした。
ポジションを見てみると・・・、まあ何と驚いたことか。
GKがDFをしたり、FWがGKをしたり、様々!
滝二のユニフォームでの最後となる試合で、 "一度はやってみたかった"、あるいは"かつてやっていた"ポジションを担当する選手達。
その表情は、"サッカー小僧"そのものでした。

03
指揮する黒田監督

2本目を終了して5-3で滝二がリード。
そして、3本目。
一人の選手が試合に出場しました。
その名は、橘章斗(あきと)。
本大会、彼は滝二の10番を背負いながらも、左足首骨折(全治一ヶ月)のため試合に出場する事はできませんでした。
報道では、回復も順調で勝ち続ければ出場も可能と言われていました。
そんな彼が、まだ完治していない足をやや引きずりながら、仲間とともにセンターサークルに向かっていきました。

初戦の前日、宿舎で「足が折れてでも試合に出たい」と涙を流しながら黒田監督に話した彼。
「本当は辛い気持ちもあるけど、でも気持ちを切り替えてチームのために何でもする」と開会式前に国立競技場で私に答えた彼。
「最後はお前と同じピッチに立っていたい」とチームメートからたくさんの勇気と元気をもらった彼。
すべての思いが、この瞬間結集したのです。

もちろん、まだ全力は走れません。
でも、痛みなどどこ吹く風、ボールを懸命に追いかけます。
プレーを見ていて、もし滝二が決勝まで駒を進めていてもよほどの展開でなければ出場は無理だったというのが正直な感想。
それでも、サッカーの神様は最高の舞台を贈りました。
ボールを蹴るという当たり前の行為とともに、橘章斗の高校サッカーは終わりを告げることができました。
試合出場、わずか10分。一杯一杯でしょう。
それでも「あと10分プレーしていたら得点できたのに!!」
締めくくりは無邪気な笑顔でした。

03
最後は笑って集合写真

創部23年目にして、負けたチームが試合をして神戸に帰るのは初めてだったそうです。
そこには、"レギュラーになるぞ""しっかり自分をアピールしなければ"といった気持ちは全く存在していませんでした。
あったのは3年間苦楽を共にした仲間と一秒でも長くサッカーボールを蹴っていたい、その思いだけでした。

「滝川第二(兵庫)6-3橘(神奈川)」
これが、黒田監督にとっての最後の試合。
3年生にとっての最後の試合。
次なる人生に向けた最初の試合。
至る所に、"情熱"に満ちあふれていました・・・。

2006年から2007年にかけての年末年始は本当にいろいろなパワーをもらいました。
アナウンサーとして、社会人として、人間としてこの経験を生かしていきたいと思います。

4回に渡るコラムにお付き合い頂きありがとうございました

This entry was posted in 日記. Bookmark the permalink.