怪物!

日本ハムのキャンプ取材にも行ってきました。
お目当ては、当然"怪物"中田翔。
生で初めて見ましたが、とにかく"デカっ"という印象。
技術的な事は分かりませんが、体、特に太もものデカさが半端じゃありません。
これだけ土台がしっかりしているだけでも、高卒ルーキーでは規格外でしょう。
中田が動けば何とやら、報道陣、特に日本ハム担当は大変です!

03

キャンプ地・名護球場の入り口には、
2006年の3冠(パリーグ・日本シリーズ・アジアシリーズ)獲得記念の
巨大な記念碑と手形レリーフがありました。

03

思えば、日本ハムはすごいチームになりましたよね。
3年前は新庄が注目でした。
昨年は森本にダルビッシュ。
そして今年は中田翔。
次々に新しい、しかも若いスターが出てくる点が素晴らしい。
ただ、ふとグランドを見れば、昨年のパリーグ首位打者・稲葉がいる。
明るい森本がいる。いぶし銀の金子(誠)や田中(賢)も!
投手陣には武田(久)やマイケルが!!
さすがパリーグ連覇のチーム。
交流戦で阪神と対決するのが本当に楽しみになりました。

ちなみに、中田翔。
宿舎ではというと・・・
同じルーキー・関学大卒の宮西の部屋で気分転換しているみたいですよ。
何をしているかって?
テレビゲーム。パワプロが中心とのこと。
このあたりはまだ18歳って感じですね!!

Posted in 日記 | 怪物! はコメントを受け付けていません

日焼けなし!

いよいよプロ野球12球団がキャンプインとなりました。
国内で全球団がキャンプをするのは、3年ぶり。
うち、9球団が沖縄で球春到来を告げます。

阪神の沖縄キャンプは6年目。
1年目は2003年、そう18年ぶりに優勝の美酒を味わったシーズン。
金本選手が虎の一員となった年でした。

それ以来となる阪神FA移籍選手が新井選手です。
初日の注目度は間違いなくNo.1!

新井選手がフリー打撃を始めると、ファンは一斉に熱い視線を送ります。

03

私も改めて間近で見て、体の大きさにビックリしました。
矢野選手からは「全日本(五輪代表)の時より緊張してるんちゃうか?」と冷やかされていましたが、
みんなから声を掛けてもらって、すぐになじむ事でしょう。

さて、キャンプ取材の楽しみにお昼ご飯があります。
ちょうど選手のランチタイムに報道陣も食事をとりますが、
阪神の取材をした2日とも、タコライスを食べました。

沖縄で1980年代に生まれたといわれるタコライス。
挽肉・チーズ・レタス・トマトがお米に乗ってるなんて、何と贅沢な事か!!
5年前、初めての沖縄取材で出会って以来のお付き合いです。
普段、あまり野菜を好まない私としては、これ以上ないタコライス。
一見タコが入っているのではと思わせる所も魅力的。
午後からの取材意欲も湧くってもんです(笑)

03

そして、2月1日は「熱血!タイガース党」の生中継がありました。
現場スタッフの気合いが写真からも伝わりますかね!?

03

実は滞在4日間、太陽と会えたのはわずか30秒!
かつて日焼け止めを塗りすぎて真っ白になった($10に大笑いされた!)事を
思えば、それもよしかな・・・と。

何はともあれ、今年もプロ野球は熱いぞって事だけは確かです!!

Posted in 日記 | 日焼けなし! はコメントを受け付けていません

高校サッカー2007②

新春1月2日、神戸科学技術の夢は2回戦で散りました。
沖縄の那覇高校に0-1。
戦前の予想では、神戸科学技術有利とも言われていましたが、
エース・須ノ又のケガや攻守の要・福原の体調不良などが重なり、
無念の敗戦でした。

試合後のロッカールームは涙・涙・涙・・・。

3年生のDF古結は2年生で同じDFの朴に
「お前らやったら絶対行ける!来年もう一回全国に戻って来いよ!!」と
叫んでいました。

1回戦でゴールを挙げた3年生増井は、中学3年生の時、最後の試合は出られませんでした。
「負けてみんなが泣いていても、試合に出ていないから涙は出ませんでした。
だから、高校の最後の試合はチームメートと泣きたいんです」と大会前、話していました。
この日の増井、いい泣きっぷりでした。完全燃焼しました。

そして、鈴木監督が静かに語り始めました。
(以下すべて紹介)
「ご苦労さん。
いつも言ってるけど、勝ち負けは出んねん。
お前ら、1回戦で勝つ喜びを味わった。
今回、こうやって負ける悔しさを経験した。
3年生は高校サッカー終わって、もうやりたくてもできへんけど
よーここまで来たんちゃうん?
新チームになって俺にいっぱい怒られて、プリンスリーグに恥をかきに行くんかと
言われて・・・。
そのチームがプリンスリーグ残留も決めて、後輩へ、次へ、いい舞台を残してくれた。
夏も(全国)インターハイ出たし、選手権も初出場。
御影工業の時も含めると、26年ぶりのことや。
すごいぞ!お前ら!!
よーやったやん。
ホンマは、好き勝手(サッカー)やりたかったかもしれへんけど、
やっぱりチームのために、勝つために、頑張ってくれた。
よーやったと思うぞ。
悔いが残る?ええやん。
その悔いが残っている中で、次どうするかっていう事を考えてな。

1・2年生、特に今ここにいる1・2年生、
3年生がこんないい思いをさせてくれたんやぞ。
もう一回、帰ってこようよ。
しんどいかもしれへんけど、大変かもしれへんけど。

3年生ご苦労さん。
いろいろ勉強させてもらった。

みんな、サッカーやっててよかったやん。
胸張って神戸に帰ろう。」

続いて、赤塚山高校・御影工業時代を含め高校サッカーを指導しておよそ30年となる
坪井総監督が、語り始めました。

「こないだ入学してきたと思ったら、もう終わりやねんな。
みんな、今の絆、一生の宝物にしてな・・・。
今は悔しくて泣くばかりかもしれへんけど、この絆を大切にな。
お前らの間もそう、先生との付き合いも大切にしてな・・・。

1年生、2年生はこの経験、悔しい思いをこれからのチームに生かして
また全国来て、今の3年生にOBとして応援に来てもらって
今のチームを超えるのが、3年生への恩返しやぞ。

特に、この場にいる1・2年生は、頑張らなあかん。

3年生、本当にお疲れさまでした。」

二人の言葉はチームの魂として残り、やがて伝統へと形を変えていくでしょう。

最後にもうひとつ。
試合が終わった後、エースの須ノ又は右足首負傷のため歩けませんでした。
"でも最後に応援スタンドまで行きたい"という思いを察し肩を貸したのは、
鈴木監督でした。

体調不良のため後半からしか出場できなかった福原は、うずくまって
立ち上がれませんでした。
冷え込みも厳しい選手権。
そっと、ベンチコートを上から被せたのは、坪井総監督でした。

本当にいいチームでした。
感動をありがとう!

03
横浜みなとみらいでの元日練習がこのチーム最後の練習となった

Posted in 日記 | 高校サッカー2007② はコメントを受け付けていません

高校サッカー2007①

本年もこのコラム、ご愛読の程よろしくお願いします。

さて、私は年末年始、高校サッカーの中継で東京に行っていました。
今回は大晦日に神奈川三ツ沢球技場での「兵庫代表・神戸科学技術―秋田代表・秋田商業」の一戦を実況。

03

解説は、元日本代表GKの田口光久さん。

かつて“とんねるず”の番組に出ていた田口さんです!

放送前の打ち合わせでも丁寧にひとつひとつ答えてくださいましたし、
メッチャ気さくな方でした。

さて、この両校にはちょっとした因縁がありまして、
神戸科学技術はサッカーの伝統校・御影工業と神戸工業が統合して2004年に誕生。
御影工業時代を含めますと、26年ぶり5度目の選手権出場となります。
26年前、御影工業として最後に選手権に出た時は2回戦負けでしたが、その相手が秋田商業。
雨の中の試合、スコアは1-2。
初めて今のような48代表という形が取られた第60回大会でした。

当時の中継は、始まるのが今のようにキックオフからではなく、前半20分過ぎあたりから。
時は流れて、学校が生まれ変わって最初に出場する選手権でまた秋田商業と対戦するのです。
しかも、神戸科学技術の鈴木監督は26年前1年生FWとして試合にフル出場。
初めて公式戦で先発起用されたのが、この試合でした。
(ちなみに元日本代表FW永島昭浩さんは鈴木監督の1学年上)
「当時は移動が今のように専用のバスではなく、公共交通機関をつかってのもの。
無言で地下鉄などを乗り継いで宿舎まで帰ったのを覚えているわ」と鈴木監督は当時を振り返ります。
あ、場所も同じ神奈川県・三ツ沢球技場!
マスコミが好きそうなネタがいっぱい揃っていたでしょ(笑)

一方、秋田商業も昨年の大会で初戦PK負け。
相手はベスト4入りした鹿児島の神村学園。
あ、場所は同じ三ツ沢。
その時のメンバーが6人残っていますし、こちらも燃える要素はたっぷり。

26年前、御影工業監督としてベンチで指揮を執っていた一北四郎さんや同じく秋田商業監督だった外山純校長が応援スタンドで見守る中、試合は風速9メートルの風が吹く中始まりました。

前半は風上に立った秋田商業が主導権を握りますが、ゴールならず0-0。
後半は逆に風上に立った神戸科学技術が試合を優位に進め、
16分ついに増井(3年)のミドルシュートが決まり先制!

ちなみに増井は高校でサッカーを辞めます。
昔から絵を描くのが好きだったそうで、将来の夢は美術の先生。
「今までの中でのベストゴール!」という見事なシュート。
ボランチで普段あまり目立たないタイプだけに、活躍できてよかった!

その後、秋田商業の反撃を何とか食い止めていた神戸科学技術ディフェンス陣ですが、
後半ロスタイム、チームNO.1FW佐藤(聖)のスピードに対応しきれず
GK金本がペナルティエリアで反則。
PKを佐藤(聖)が冷静に決め、試合はPK戦へ!

ちなみに、佐藤(聖)は、県大会の決勝で右の鎖骨を骨折。
ギリギリ今大会に間に合いました。
「サッカーがいかに自分にとって大切なものかがすごく分かった」と話していただけに
最後の最後で結果を出せてよかった!!

前回大会、PKで敗れた秋田商業。
昨年の総体、PKで敗れた神戸科学技術。
どちらが“負の記憶”を拭い去るか?

CM中、私の鼓動は最高潮に達しました。
ちなみに神戸科学技術の鈴木監督は「正直言って負けたと思った。
流れが流れだったし。でも、自分が諦めたら絶対負けると思って
“さあ、こっからや”と選手を奮い立たせた」そうです。
結果は・・・全員決めた神戸科学技術が勝ち、選手権初出場で初勝利を挙げました。
それはそれは御影工業のOBの喜びようは大変なものでした。

さて、試合後、今回取材で大変お世話になった秋田商業サイドへあいさつ。
長谷川監督は、「悔しいですね・・・。でもまた帰ってきますよ!」と全国大会での再会を約束。
そして、中心選手3人にも。
一人ずつ話したのですが、異口同音に「神戸、優勝目指して頑張ってくださいね」と返ってきました。
驚きました。負けたのはPKですよ!ホント悔しいはずなのに。
さっきまでロッカールームでみんな嗚咽を漏らしていたのに。
高校サッカーが思い出に変わった直後なのに。
私のような数回しか会っていない人間に、エールを送るなんて!
私は全国大会で他府県のチームを担当するのは5回目ですが、こんなことは初めてです。
感激しました。
秋田商業、最初から最後まで好きなチームでした。
こうして、非常にすがすがしい気持ちで私の2007年は幕を閉じたのです。

こんな長い文章にお付き合い下さってありがとうございました。
昨年同様、この続きは②でお伝えします。

近日中のアップを・・・頑張ります!

Posted in 日記 | 高校サッカー2007① はコメントを受け付けていません

2007年 写真お蔵出しッ!

今年も1年、お付き合いありがとうございました。

紹介できなかった写真を一気に披露します!

皆様。よいお年を!

03
◆キャンブで福本さんと!高知県の鰻料亭「大正軒」にて

03
◆福本さんの現役時代の愛用品がいっぱい!

03
◆仙台にて。楽天のカラスコと!

03
◆DJに挑戦?いえいえ、1月2日放送の「タイガースゴルフ大会」の収録です!是非ご覧ください!

03
◆富士山を見てきました!阪神タイガース、目指せ日本一という願いをこめて!

Posted in 日記 | 2007年 写真お蔵出しッ! はコメントを受け付けていません

おめでとう!

生まれた時の体重はおよそ4000グラム(大きい!)。

きっかけは母親の一言「ええとこ連れてってあげる!」

野球は「見るよりするのが大好き!」

尼崎生まれながらサンテレビの野球中継は「すみません、ほとんど見ていません!」

中学で野球は「下手だったので辞めるつもりでした」

高校で先輩・金刃(現巨人投手)と出会い
「練習でも金刃さんより少しでも多く走ろうと頑張っていました」

大学は関西学院に進学「金刃さん(立命館大卒)と勝負もできると思って」

一気にプロ候補「実感がありませんでした」

自宅の部屋には思い出の品がズラリ。全日本のユニフォームも。
「一番リラックスできる空間です」

趣味は「ボーリング!でも最近は友達と夜に星を見ること!青春しています!!」

たくさんの人に支えられ、この秋プロ野球選手になりました。

彼の名前は宮西尚生!

03
03

詳しくは、来週月曜日26日のニュースシグナルにて!!

Posted in 日記 | おめでとう! はコメントを受け付けていません

おっ!サンTシャツ

03

先週の土曜日、サンテレビボックス席の中で

「おっ!サンテレビ」をPRするため

スタッフみんなでお揃いのTシャツを着ました!

チームも勝って最高の夜でした~!!

Posted in 日記 | おっ!サンTシャツ はコメントを受け付けていません

同級生

陸上の世界選手権が始まりましたね。
日本のメダル有力候補が続々と予選で敗退、波乱の幕開けとなりました。

「地元の利を生かして何とか頑張って欲しいですね」
こう話すのは小島(旧性・新井)初佳さん。
小島さんは、舞子高校から甲南大学を経て、現在ピップフジモトの陸上部に所属している現役アスリート。
これまで日本選手権の100メートル7連覇を達成するなど、数々の記録を打ち立ててきました。

03

実は、先日小島さんと仕事でご一緒する機会がありました。
小島さんと僕は1974年(昭和49年)生まれの同い年。
1999年に兵庫リレーカーニバルの100メートルで当時の日本記録を作りましたが、僕がこの中継に携わったのは翌年から。
ユニバー競技場のスタッフルームで「すごい同い年の女の子がいるんやなあ」と、おぼろげに思ったものです。
初対面でしたが、すごく気さくな方でした。
残念ながら世界選手権ハンマー投げで6位に終わった室伏選手も同い年なのですが、「室伏さんはいちご大福が好きなんですよ」といった裏話もこっそり教えてくれました。

小島さんは、過去3度世界選手権にも出場していますが、全部海外。
気分転換に世界遺産を見に行ったりしていい思い出にもなったそうですが、やはり調整では苦労もあったとのこと。
今回は地元開催ということで、「独特の湿気がかなり日本の選手には有利になると思います」と大きな期待を寄せていました。
日本人選手の後半の巻き返しに注目ですね。

昨年、地元兵庫で開催された国体でも大活躍し、皇后杯・天皇杯獲得に大きく貢献した小島さん。
その国体を一区切りに、現在本職の陸上は“休業中”。
ただ「また本格的に走りたいと夢はもちろん持っています」とのこと。
目標の選手は、スロベニアのオッティー。
現在47歳ながら、今年の世界選手権にも8度目の出場を果たした陸上界を代表する選手です。(一次予選で落選)

「今までの陸上界って、特に女子の場合は“30歳を超えたら引退”というイメージが強かった。でも、そういう流れを私は少しでも変えたいです。結婚しても(小島さんは三年前に結婚)、子供を産んでも、しっかりレースにも出て、一線で活躍できるアスリートでいたい。だからオッティーは憧れであり目標でもあるんです。」
“心技体”でいう“心”をしっかり休めて、またトラックを笑顔で走り抜ける
“初佳スマイル”が帰ってくることを、同級生として心待ちにしています!

Posted in 日記 | 同級生 はコメントを受け付けていません

侍いざ出陣

Jリーグ・清水エスパルスのFWです。
兵庫県出身の21歳です。
所属したのは中学時代が宝塚ジュニアユース、高校は滝川第二です。
そして彼は、まもなく始まるサッカー男子北京五輪最終予選のメンバーです。

81回の高校選手権、彼は1年生ながら国立競技場のピッチに立ちました。
しかも、2学年上のお兄さんとともに先発出場し、“兄弟2トップ”を組みました。
ただ、1年生での気疲れからか、前日から体調を崩し、結局前半途中で交代。
対戦相手・市立船橋(千葉)には、当時2年生のカレン・ロバート(現磐田)がいました。

雪辱を期した翌年、再び国立競技場に岡崎は帰ってきました。
大会3得点という手土産とともに。
相手は国見(長崎)。
“黒田監督に国立での1勝をプレゼントしよう”前日の選手間でのミーティングで誓った思いは叶うと誰もが信じていました。
しかし・・・。結果は0-4の完敗。岡崎に得点なし。
この試合、国見でハットトリックを達成したのは平山相太(現FC東京)。

3年生の冬。予選で全試合得点を挙げ、大会注目選手として報道陣からの取材も多数受けた岡崎。
東京での選手権抽選会。主将として参加していた彼と偶然帰りの新幹線が同じになりました。
新神戸までの3時間・・・、会話が止まることはありませんでした。
「せっかくゆっくり寝ようとしてたのに!!」と言いながらも一回りも年下の高校生と話ができてとても楽しかったのを今でも覚えています。
しかし、この翌日とんでもないアクシデントが襲いかかります。
「右足首の疲労骨折」
練習中、急に痛みがきたとのこと。全治は3ヶ月。
つまり、本大会には普通に考えれば間に合いません。
それでも彼は懸命なリハビリを続け、初戦で敗れた星陵(石川)戦、
途中出場ながら執念で1ゴールを挙げました。
ちなみに、星陵勝利の立役者は本多圭佑(現名古屋)でした。

正直言って初めて彼に会ったとき、日本代表のブルーのユニフォームを着る選手になるとは思いませんでした。
体もFWとしては、決して大きくはありません。(173㎝)
年代別の日本代表に選ばれることも皆無でした。
でも、「今年が3年目、勝負の年です。」と1月に会ったときに話したその通り、今シーズンはエスパルスで初得点を挙げ、レギュラーに近い存在となりました。
そして、チームでの活躍が認められ、6月のマレーシア戦で代表デビュー。

岡崎には今のU―22世代にはあまり見られない“泥臭さ”があると思います。
得意のプレーはダイビングヘッド。
ゴール前のスペースを突いて、体ごとボールにぶつかっていくのがまさに持ち味。
中学の頃は毎日練習していたと言います。
そういえば、高校時代の練習用のユニフォームには「ダイビングヘッド」と英語で書かれていました。

今回の最終予選、ベトナム戦の登録FWは平山・李(柏)・岡崎の3人。
カレンは落選となりましたが、本田も含めて高校時代しのぎを削った選手たちとともに日の丸を背負って戦います。

チャンスは少ないかもしれませんが、かつてフル代表の大黒が途中出場でのゴールで一躍名を挙げたこともあります。

「最後まで決して諦めない“侍”の心を持ってプロでも戦います」
18歳の春、彼はこう言い残して静岡に行きました。

そして21歳の夏、北京に向かうために身を削ってでも勝利に貢献してくれると信じています。

頑張れ、慎司-!

03

Posted in 日記 | 侍いざ出陣 はコメントを受け付けていません

8月16日

03
横浜スタジアムの中継から帰ってきました。

年に数回行きますが、毎回楽しみなのが開門後のスコアボードビジョン。

何かしらお客さんを楽しませる企画があります。

今回は“記憶に残る個性派選手たち”と題して往年の選手達のプレーが映像でよみがえっていました。

もちろん、ホームチームはベイスターズですから、「大洋ホエールズ」時代の名プレーヤー中心。

ただ、時折、阪神の江本さんが投げているシーンがあったりして、取材の合間に見ていて楽しかったです。

「片平晋作」という選手をご存じでしょうか。

一本足打法が持ち味の長距離打者で大洋でも活躍した選手。

大洋でも、と書きましたが、元々プロ入りしたのは南海ホークスでした。

実は、子供の頃、私の家の近くに住んでいて、憧れのプロ野球選手が近くにいるというだけで心がときめいた思い出があります。

残念ながら私が小学2年生の時に西武に移籍しましたので、サインをもらう機会はなかったのですが、それからもずっと気になる存在でした。

今回、久しぶりに映像を見て、そんな事をふと思い出しました。

近くには「あぶない刑事」でよく舞台になった「伊勢佐木モール」もありましたし、何か、懐かしい匂いがした「YOKOHAMA」でした!

Posted in 日記 | 8月16日 はコメントを受け付けていません