高校サッカー2007②

新春1月2日、神戸科学技術の夢は2回戦で散りました。
沖縄の那覇高校に0-1。
戦前の予想では、神戸科学技術有利とも言われていましたが、
エース・須ノ又のケガや攻守の要・福原の体調不良などが重なり、
無念の敗戦でした。

試合後のロッカールームは涙・涙・涙・・・。

3年生のDF古結は2年生で同じDFの朴に
「お前らやったら絶対行ける!来年もう一回全国に戻って来いよ!!」と
叫んでいました。

1回戦でゴールを挙げた3年生増井は、中学3年生の時、最後の試合は出られませんでした。
「負けてみんなが泣いていても、試合に出ていないから涙は出ませんでした。
だから、高校の最後の試合はチームメートと泣きたいんです」と大会前、話していました。
この日の増井、いい泣きっぷりでした。完全燃焼しました。

そして、鈴木監督が静かに語り始めました。
(以下すべて紹介)
「ご苦労さん。
いつも言ってるけど、勝ち負けは出んねん。
お前ら、1回戦で勝つ喜びを味わった。
今回、こうやって負ける悔しさを経験した。
3年生は高校サッカー終わって、もうやりたくてもできへんけど
よーここまで来たんちゃうん?
新チームになって俺にいっぱい怒られて、プリンスリーグに恥をかきに行くんかと
言われて・・・。
そのチームがプリンスリーグ残留も決めて、後輩へ、次へ、いい舞台を残してくれた。
夏も(全国)インターハイ出たし、選手権も初出場。
御影工業の時も含めると、26年ぶりのことや。
すごいぞ!お前ら!!
よーやったやん。
ホンマは、好き勝手(サッカー)やりたかったかもしれへんけど、
やっぱりチームのために、勝つために、頑張ってくれた。
よーやったと思うぞ。
悔いが残る?ええやん。
その悔いが残っている中で、次どうするかっていう事を考えてな。

1・2年生、特に今ここにいる1・2年生、
3年生がこんないい思いをさせてくれたんやぞ。
もう一回、帰ってこようよ。
しんどいかもしれへんけど、大変かもしれへんけど。

3年生ご苦労さん。
いろいろ勉強させてもらった。

みんな、サッカーやっててよかったやん。
胸張って神戸に帰ろう。」

続いて、赤塚山高校・御影工業時代を含め高校サッカーを指導しておよそ30年となる
坪井総監督が、語り始めました。

「こないだ入学してきたと思ったら、もう終わりやねんな。
みんな、今の絆、一生の宝物にしてな・・・。
今は悔しくて泣くばかりかもしれへんけど、この絆を大切にな。
お前らの間もそう、先生との付き合いも大切にしてな・・・。

1年生、2年生はこの経験、悔しい思いをこれからのチームに生かして
また全国来て、今の3年生にOBとして応援に来てもらって
今のチームを超えるのが、3年生への恩返しやぞ。

特に、この場にいる1・2年生は、頑張らなあかん。

3年生、本当にお疲れさまでした。」

二人の言葉はチームの魂として残り、やがて伝統へと形を変えていくでしょう。

最後にもうひとつ。
試合が終わった後、エースの須ノ又は右足首負傷のため歩けませんでした。
"でも最後に応援スタンドまで行きたい"という思いを察し肩を貸したのは、
鈴木監督でした。

体調不良のため後半からしか出場できなかった福原は、うずくまって
立ち上がれませんでした。
冷え込みも厳しい選手権。
そっと、ベンチコートを上から被せたのは、坪井総監督でした。

本当にいいチームでした。
感動をありがとう!

03
横浜みなとみらいでの元日練習がこのチーム最後の練習となった

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