侍いざ出陣

Jリーグ・清水エスパルスのFWです。
兵庫県出身の21歳です。
所属したのは中学時代が宝塚ジュニアユース、高校は滝川第二です。
そして彼は、まもなく始まるサッカー男子北京五輪最終予選のメンバーです。

81回の高校選手権、彼は1年生ながら国立競技場のピッチに立ちました。
しかも、2学年上のお兄さんとともに先発出場し、“兄弟2トップ”を組みました。
ただ、1年生での気疲れからか、前日から体調を崩し、結局前半途中で交代。
対戦相手・市立船橋(千葉)には、当時2年生のカレン・ロバート(現磐田)がいました。

雪辱を期した翌年、再び国立競技場に岡崎は帰ってきました。
大会3得点という手土産とともに。
相手は国見(長崎)。
“黒田監督に国立での1勝をプレゼントしよう”前日の選手間でのミーティングで誓った思いは叶うと誰もが信じていました。
しかし・・・。結果は0-4の完敗。岡崎に得点なし。
この試合、国見でハットトリックを達成したのは平山相太(現FC東京)。

3年生の冬。予選で全試合得点を挙げ、大会注目選手として報道陣からの取材も多数受けた岡崎。
東京での選手権抽選会。主将として参加していた彼と偶然帰りの新幹線が同じになりました。
新神戸までの3時間・・・、会話が止まることはありませんでした。
「せっかくゆっくり寝ようとしてたのに!!」と言いながらも一回りも年下の高校生と話ができてとても楽しかったのを今でも覚えています。
しかし、この翌日とんでもないアクシデントが襲いかかります。
「右足首の疲労骨折」
練習中、急に痛みがきたとのこと。全治は3ヶ月。
つまり、本大会には普通に考えれば間に合いません。
それでも彼は懸命なリハビリを続け、初戦で敗れた星陵(石川)戦、
途中出場ながら執念で1ゴールを挙げました。
ちなみに、星陵勝利の立役者は本多圭佑(現名古屋)でした。

正直言って初めて彼に会ったとき、日本代表のブルーのユニフォームを着る選手になるとは思いませんでした。
体もFWとしては、決して大きくはありません。(173㎝)
年代別の日本代表に選ばれることも皆無でした。
でも、「今年が3年目、勝負の年です。」と1月に会ったときに話したその通り、今シーズンはエスパルスで初得点を挙げ、レギュラーに近い存在となりました。
そして、チームでの活躍が認められ、6月のマレーシア戦で代表デビュー。

岡崎には今のU―22世代にはあまり見られない“泥臭さ”があると思います。
得意のプレーはダイビングヘッド。
ゴール前のスペースを突いて、体ごとボールにぶつかっていくのがまさに持ち味。
中学の頃は毎日練習していたと言います。
そういえば、高校時代の練習用のユニフォームには「ダイビングヘッド」と英語で書かれていました。

今回の最終予選、ベトナム戦の登録FWは平山・李(柏)・岡崎の3人。
カレンは落選となりましたが、本田も含めて高校時代しのぎを削った選手たちとともに日の丸を背負って戦います。

チャンスは少ないかもしれませんが、かつてフル代表の大黒が途中出場でのゴールで一躍名を挙げたこともあります。

「最後まで決して諦めない“侍”の心を持ってプロでも戦います」
18歳の春、彼はこう言い残して静岡に行きました。

そして21歳の夏、北京に向かうために身を削ってでも勝利に貢献してくれると信じています。

頑張れ、慎司-!

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