市立浦和高校

前回のコラムでお伝えしたとおり、私は今年の1月2日
高校サッカー選手権の2回戦、埼玉県代表・市立浦和高校VS兵庫県代表・滝川第二高校の試合を実況させていただいた。

現在のさいたま市立浦和高校、かつての浦和市立(うらわしりつ)高校は、まだ選手権が関西、主に兵庫県・西宮で開催されていた昭和30年代から40年代にかけて4度の優勝を誇るいわゆる古豪だ。
古いサッカーファンなら浦和市立の呼び方の方がピンとくるだろう。

ちなみに高校野球ファンの私は1988年(昭和63年)の夏の甲子園で初出場ながらベスト4まで進出した“さわやか浦和市立高校”の印象が強い。
私はこの年の「熱闘甲子園」を見て初めてアナウンサーになりたいと思った。

余談になるが、今回実況するにあたり、市立浦和まで取材に行かせてもらい、現在も指揮を執る野球部・中村監督に会うことができた。
「あの時のチームのことはいまだによく言われるんで嬉しいですよ。
あーそうですか、今度実況されるんですね。まあ、頑張ってください」と20年前、甲子園の時と同じ笑顔で僕に対応してくれた。
また、ひとついい思い出ができた。

かつて、静岡・広島と並んで「サッカー御三家」と言われた埼玉代表もこと高校サッカー選手権では、最近成績が芳しくないが、サッカー熱のある浦和という土地柄、周囲の期待も当然高い。公立校とはいえ、かかるプレッシャーも相当だ。

だが、私立高校が台頭してきた近年、市立浦和高校が選手権の舞台に立つのは今回が12年ぶり。
昨年の学校全体の現役大学進学率が86%という県内有数の進学校で選手権メンバー3年生18人のうち、
センター試験を受験するのが16人。本大会を前にサッカーのみに集中というわけにもいかない。

池田一義監督は、全試合、相手校有利と言われる中で県大会を勝ち抜いた喜びも束の間、すぐに不安がよぎったと言う。
「決勝戦が終わった後、すぐに選手に言いました。“受験で不安のある奴は夜電話してきなさい“と。1人か2人はかけてくるかなと。」
しかし、実際は一度も携帯電話が鳴らなかった。
「あれで、選手の覚悟が伝わってきたよね。だから、翌日、“勉強しろとか一切言わない。俺もこの選手権にすべてをかけるから”と伝えた。実際、3年生は本当にきついと思う。
本来なら一日10時間くらい勉強しなきゃいけないこの時期にサッカーと両立させなきゃいけないんだから。
まさに、文武両道を地でいく1ヶ月半だった。だからこそ、この子たちに勝たせてあげたいんだ。」と選手の決意の固さに目を細くしていた。

私も今から16年前と15年前(2回!)にセンター試験を受けた。
この12月から1月上旬にかけての時期の大切さは分かっているつもりだ。
主将・徳島は、宿舎に参考書を5冊持ち込んでいる。
心の中で「頑張れ」と何度叫んだことか!

2009年元日。
練習場所は、試合会場となる埼玉スタジアム2002側のグランドだった。
練習開始前、池田監督は「初詣だ」と言って、突然スタジアムの方を向いた。
「ほら、みんなもお祈りしよう!」
スタジアムを神社に見立て、全員で“初詣”をしたのだ。
今回、監督として選手権に挑むのは初めての池田監督だが、選手の乗せ方は本当に上手い。
私も祈った。「いい試合になりますように!」と。

結論から言うと、好ゲームだった。
どちらが勝ってもおかしくなかった。差はなかった。
80分で試合は決まらず、勝敗はPK戦までもつれこんだ。
滝川第二0-0(PK5―4)市立浦和。
スコア上も滝川第二がたった一つ数字が多いだけ。
だが、この数字ひとつの差がトーナメントではとてつもなく大きい。
市立浦和初戦敗退―。

PKを外した選手は、池田監督曰く「普段からサッカーに対してひたむきに取り組んでいる生徒」だった。
12月下旬、監督の自宅でバーベキューパーティーを開催した時、熱心に監督にサッカーの質問をしてきたのは、彼だった。
直前の練習試合でも活躍していた。
試合後のロッカールームには、泣きじゃくる彼を見て
「お前だけでやったんじゃない!みんなでサッカーをやってんだ!
今持てる力をすべて出そうと言ったじゃないか!出せただろ!!」と“熱く”労をねぎらったそうだ。
敗れても指輝官に悔いなし。

古豪復活へ、市立浦和の戦いはまだまだ続いていく・・・。

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ハマった2

今年もよろしくお願いします。
ボクは年末年始、高校サッカーの実況などで東京で過ごしました。
そこでハマったもの・・・。
ズバリ、「いきものがかり」!

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会社のデスクにも!

初めて知ったのは、何年か前の「HEY!HEY!HEY!」。
グループ名の由来を知りました。
初めて聴いたのは、「茜色の約束」。
CDショップの視聴コーナーで"何ていい曲なんだ"と感動!
すぐさま購入。
そして、今回、高校サッカーの応援ソングを担当していることもあって、昨年12月24日発売の3rdアルバムを東京に持参しました。

試合ごとに高校サッカースタッフはバスで会場に移動します。
大体1時間くらいですが、ずっと聞いていたなあ。

ちなみに、ボクは、いまだCDウォークマンです!
もう6年ほどの付き合いになります。

いやあ、ホテルの部屋でも実況の準備をしながら何回も聞きましたが、最高ですね。
心に歌声が染みいってきますね。
「気まぐれロマンティック」ノリノリですね。

神戸に帰ってきても、毎日CDウォークマン、フル稼動!
曲終わりに次の曲の前奏が浮かんでくるくらいに今、なっております。

ちなみに、兵庫代表・滝川第二高の初戦相手、埼玉・市立浦和高の池田監督も大会前に買われたそうで、応援ソング「心の花を咲かせよう」を選手の移動バスで流して気持ちを高めていたそうです。

しばらく、「いきものがかり」三昧の日々が続きそうですわ!

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ハマった!

普段、ドラマ見ます?
僕、あんまり見ないんですよ!

でもねー、今回ひとつメッチャハマったものがありまして!
それが、今週最終回を迎えるんですよ。

ドラマ名は伏せますけど、原作本も今売れていまして。
先にドラマを見たので、終わってから改めて原作を見ようかなと思っています。
(先日、立ち読みで60ページ程、読みましたが、こりゃおもろいわと思いました)

いつ以来かなあ、こんなにドラマを見たのは。
多分、記憶にあるのは
「美女か野獣」(松嶋奈々子・福山雅治)以来かなあ。
いや、「暴れん坊ママ」(上戸彩)以来か。
あ、それやったら昨年か。でも、今回のハマリ具合はハンパねえ。

最終回を迎えるにあたって、前の4回分を一気に見直しました。
犯人につながるヒントがあるかなと思って。結局、なかったですけど。

いやあ、今週が楽しみだ。
あ、そうや、その日、夜のニュース勤務だ。
DVD予約を絶対覚えとかなあかん!

あー、頭の中、嵐の曲が回ってる~!!

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清原選手 引退

清原選手が引退しました。
各世代、それぞれの思い出があることかと思います。

昭和49年生まれ、現在33歳の私の場合―

1985年8月14日-10歳(小学5年生)のボク。

夏の甲子園、準々決勝。第一試合、高知商業戦。
中山投手(元中日)の快速球をレフトスタンドにたたき込んだシーン。
夏休み、寝ぼけ眼をこすりながら観戦も、この特大アーチで一気に目が覚めました。
“どこまで飛んでいくんだろう!”

1987年7月28日―12歳(中学1年)のオレ。

清原選手と同い年の兄と人生初めてのオールスター観戦。
実は、この年から眼鏡をかけ始めましたが、当時は学校の授業中のみ。
事もあろうか、この日、持ってくるのを忘れてしまいました。
外野席だったため、ぼやけてしか見えません。
試合開始。やはりハッキリとは見えず。
打者・清原、投手・桑田。
“これは世紀の対決、見逃してはならぬ”と双眼鏡を取り出し、ジッと眺めました。
「うわ、打った、ホームランや!」
双眼鏡のため、打球がどこに飛んだか分かりませんでしたが、角度で想像はつきました。
今でもあの双眼鏡で見た清原選手のホームラン、目に焼き付いています。

時は流れ、2006年5月27日―31歳(アナウンサー9年生)の私。

オリックス・横浜戦の実況を担当。
その日は加藤秀司さんがサンテレビ初登場の日で、福本豊さんとのコンビ。
「今日は阪急黄金コンビの解説だから、昔話も織り込んで中継を」とスタッフと打ち合わせをしていました。
8回を終わって、オリックスがリードされる展開も重なって、昭和50年代の話が盛りだくさんで9回裏へ。
そして、皆さんご承知の通り、逆転サヨナラ満塁本塁打!
直前に牧田という一軍でなかなか結果を残せなかった私と同い年の選手がしぶとく
ライト前にヒットを打った直後でした。
みんなが繋いだチャンスを最高の結果に変える背番号5の姿を見て鳥肌が立ったのを昨日の事のように思い出します。
ヒーローインタビューで小浜アナウンサーのマイクを奪い取って(?)、「野球やっててよかった」と絶叫したのがまさに印象的!

そして、昨日-。

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清原選手登場直前

練習中、「北海道から来ました~!」というファンに笑顔で応える姿。
優勝決定試合、日本シリーズとは全く違う報道陣の緊張感。
(元PL監督の中村さんの姿にミョーに感動した私)
特設グッズ売り場の長蛇の列。(試合前にはほぼ売り切れ!)
“長渕剛様 控え室”の張り紙に対する鳥肌。
打席ごとの無数のフラッシュ。
すべて直球で挑んだソフトバンク・杉内の気迫。
タイムリーとフルスイングの三振。

どれも最高でした。

オリックスは11年ぶりに2位確保、CSに初めて出場します。
清原選手が一軍復帰以降、チームは快進撃。
もちろん小松投手ら若手選手の活躍もありましたが、清原選手の存在も欠かせなかったはず。

今年センターのポジションを獲得した24歳坂口選手は、今年、清原選手からイチロー選手のバットをプレゼントされたそうです。“これ、バットケースに入れておくか?”という一言とともに。
「本当に嬉しかったです。清原さんも、バリーボンズのバットを入れてらっしゃると聞いて。僕もすぐ入れさせてもらいました。時々、イチローさんのバット触ったりすることもありました。これでひょっとしたらもっとヒットが打てるようになるかなって(笑)ホント清原さんには感謝しています。僕も、どの球場に行ってもファンから声援をもらえる清原さんのような選手になりたいです。もちろん、そのためにはもっと練習しなければなりません。頑張ります」。

オリックスに、そして球界に、もちろんファンに清原選手が残した功績は計り知れない-。
23年間、本当にお疲れさまでした。たくさんの感動をありがとうございました。

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四番清原もこれで最後か・・・

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頑張れ!

「僕はチームで一番下手なんだという思いで一生懸命頑張ってきました」
この言葉を聞いたのは、彼が滝川第二高校3年の頃だった。
チームの主将でエースストライカーが何をと思ったが、心にしまっておいた。

あれから4年、彼の母親・富美代さんは
「いつもお家に帰ってくると楽しそうにサッカーの話をしていました。
"みんなサッカー上手いし、でもすごく楽しいねん。俺下手やと自分でも分かっているけど、ホンマ楽しいねん"と」と振り返る。

そうか、本当だったのか・・・。

彼とは、岡崎慎司。
昨年のこのコラムでも紹介したが、奮闘のかいあって北京五輪男子サッカー日本代表に選ばれた。

確かにテクニックがすごくあるという選手ではなかったが、それほど謙虚にサッカーに取り組んでいたのかと今更ながら驚いた。

高校の2年先輩、元主将の金大慶さんも
「慎司はどんな他の選手よりも素直。かつ、人から言われた事を自分なりに噛み砕きそれをすぐに実行する能力のある選手でした」と岡崎を評した。

一方、2年後輩、こちらも元主将の山本翔太さんは
「慎司さんは、同じ寮生活をしていたので風呂場などで一緒になることが多く、でも決して先輩面することなく話しかけてくれました。いつもおもしろいことばかりしていてみんなからよくいじられてもいましたけど!」と笑う。

あれは高校2年の冬の選手権。県大会決勝、市立尼崎戦。
舞台は現在のホームズスタジアム神戸。
ケガで予選に1試合も出られなかった彼は、後半からようやく出場。
ロスタイム。同点ゴールを決めた。
それは、バーに当たり、そのままゴールに飛び込むという際どいものだった。
当時の黒田監督(現ヴィッセル神戸普及育成事業本部長)は言う。
「普通、あーいうシュートはバーに当たって、前に、つまりペナルティエリア内にいくんだけどねえ。あれが入るというのが彼の取り組んできた姿勢だろうね」

先日の地元神戸での五輪壮行試合。舞台は今度もホムスタ神戸。
後半途中から出場した岡崎は、後半44分、得意のヘディングシュート。
ポストの右に外れるか入るか微妙なシュート。またもや、ゴールネットに突き刺さった。
この試合、彼が放った唯一のシュートは、決勝ゴールとなった。

試合後、「市尼戦のゴール思い出しました」と言うと、静かな笑みを見せた岡崎。

常に謙虚で、チームメートからも愛される性格で、ひたむきにサッカーに取り組んできた
彼に神様が与えた大きなプレゼントが、今回の五輪という舞台ということなのかな。

「世界No.1ストライカーになる」が彼の夢だった。
それは今も変わらない。
アメリカ・ナイジェリア・オランダの3つと予選で戦う今回の男子日本代表。
岡崎がこの錚々たる世界の強豪相手にどういうプレーを見せるのか。
出場時間はそれほど多くないかもしれない。
でも彼は全身全霊を尽くして戦ってくれるだろう。

「北京五輪というステージは誰にでも与えられるステージではないのです。
誇りと自信と熱い気持ちを藻って、世界中の人々に夢を与えてください」(金さん)
「同じチームでプレーしていた先輩が日の丸を背負って戦うことを誇りに思います。
五輪でも慎司さんらしくひたむきに"チームのために"ということを忘れずに戦ってほしいです」(山本さん)

二人をはじめ、今まで支えてくれた人に慎司が恩返しをする番だからー。

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くいだおれ太郎

今日、「大阪名物くいだおれ」が59年の歴史に幕を閉じます。

気になるのは、「くいだおれ太郎・次郎」の行き先ですよね。

ちなみに、恥ずかしながら、今回閉店が決まった後の報道で弟の「次郎」の存在を知った私ですが、「太郎」とはちょっとした思い出があります。

高校時代、私は黒縁の眼鏡をかけていました。

高校3年のある時の会話。
友達Y井がこちらの顔をマジマジと見る。
「何やねん?」(湯)
「お前、よー見たら、くいだおれの人形に似てるよな?」(Y)
「似てへんわ!」(湯)
しかし、周りの反応は友達Y井と同じ。
「ホンマや!ホンマや!」と否定ゼロ!
以来、卒業まで、「湯浅=くいだおれ」というイメージが付きました。

ちなみに、友達Y井は2005年6月に更新した「実現!同窓会」のコラムにも出てきた奴です。

ですから、何となく「太郎」には親近感を持っていました。

そして!!
先週の木曜日、甲子園に「太郎」がやってきたのです。

実況前、そろそろ放送席に行こうと思っていると
メディアの打ち合わせスペースに多数の報道陣が。
何と、大のファンである金本選手のタオルを首に巻いた「太郎」がいるじゃありませんか!

神戸の会社に就職して、めっきり道頓堀に行く機会も減りましたから、
実際見るのは久しぶり。
思わず写真を撮ってしまいました。

来るというのは新聞で知っていましたが、まさか間近で見られるとは思っていなかったので、ホント嬉しかったです。
改めて高校時代の思い出があるので、顔をしっかり見ました。
やっぱり似てないと思ったけど・・・。

試合はタイガースが勝って中日に甲子園で22年ぶりの3連勝。
「太郎」も大喜びだったことでしょう。
ひとまず、長い間、お疲れさまでした。

ちなみに今は黒縁の眼鏡は、かけておりません!

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第二の人生

彼は、今年30歳になる。

出身は島根県。高校時代、益田東高校で甲子園に出場した。

大学は、東都の名門・駒沢大学に進む。
肩のケガがつきまとい、2度の手術。
2学年先輩に新井(阪神)、同級生に武田久(日本ハム)がいた。

社会人・ヤマハに就職。2年目の2002年、小気味よい投球がスカウトの目に留まり、
阪神がドラフト6巡目で指名。
プロ野球選手になった。

プロ1年目は、18年ぶりの優勝に湧いた2003年。5試合に登板する。

2年目の2004年には、22試合で5勝0敗の成績を残し、
翌年以降の活躍が大きく期待される。

しかし、彼のプロ人生は2005年から歯車が狂い始めた。
前年オフに感じた肩の異変が収まらず、6月、肩の手術。
実戦復帰まで、およそ1年を要した。

そして、昨年。
チームは井川が抜けた。左投手の成長は急務だった。
背番号も変わった。
「今年こそ!」
首脳陣も、もちろん本人も、背水の気持ちでシーズンに臨む・・・はずだった。

キャンプ終盤、運命の2月22日。
紅白戦。初めての実戦。
野球ができる。投げられる。心は喜びに満ちあふれていた。
先頭打者フォアボールで、初めてのセットポジションとなる。
打者は親交の深い同い年の浜中。
その初球だった。
「ブチッ!」
キャッチャーミットに届いているはずのボールが目の前を転がっていく。
「あの瞬間、(野球人生が)終わったと思いました」
マウンドに慌てて駆け寄ってきたトレーナーは、泣いていた。
左広背筋肉離れ。

それでも、復帰に向けて、毎日懸命に汗を流した。
夜になると、「明日はいけそうだ」、
しかし、朝になると「やはりダメか」、
その繰り返し。

結局、あの日(2月22日)のマウンドがトラウマに。
思い切って、腕が振れない。
「心では振れると思っていても、体は応えてくれませんでした」

彼が、阪神のユニフォームで再びマウンドに上がることは、なかった。

10月。戦力外通告。
その瞬間、彼は泣いた。
悔しかったからではない。
「もう、投げなくていいんだ・・・」
そう思うと、泣けてきた。
5年間のプロ野球人生は終わった。

2008年、春。
彼はスーツ姿で、現れた。
名刺には「株式会社 ワァークスジャパン」。
ちょっとふっくらした体に柔和な笑顔。
8キロ太ったそうだ。
主な仕事は、週に一度、阪神の二軍選手の素顔をインターネットで紹介すること。
慣れない手付きでパソコンと向き合っている。

第二の人生、何をするか迷った。
いろいろな選択肢があった。
一番の思いは「野球と関わっていたい」だった。

新たな夢ができた。
「僕のように、野球ができなくなっても、
何か関われる仕事がある環境を作りたいんですよ。
夢が潰えた選手の助けになれたら、最高ですね。」

三東洋。
第二の人生は始まったばかりだ-。

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この日の取材対象は桟原
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PS.3月14日放送の「熱血!タイガース党」で三東さんの特集を放送します。
是非、ご覧下さい。

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ストラップ

携帯電話を初めて所有したのは、10年前の春。
レンタルのポケベル(!)からの脱却は、私にとって大きな産業革命でした。
それが、いまや、メールが当たり前の時代ですもんね。
いやはや、「十年一昔」とは言いますが、時代の変化はすごい。

前置きが長くなりましたが、携帯電話といえば、ストラップ(?)。
そうですねえ、初めてつけたのは、多分、ドラえもんかなあ。
UFOキャッチャーで獲ったものだったと思います。

それ以来、いろいろなストラップと苦楽を共にしてきましたが、先日、目を奪われたのが、友人が持っていた写真のもの。

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何と、ブロッケンJr(以下ブロッケン)じゃありませんか!!

知る人ぞ知る漫画「キン肉マン」の人気キャラクター。

「キン肉マン」(週刊少年ジャンプで昭和54年から62年まで連載)は、私が小学生の頃、大人気だった漫画。

当時高校生の兄が毎週買ってきてくれたので、目を皿のようにして隅々まで読んでいました。

その中で、一番好きなキャラクターが、ブロッケンでした。
「第21回超人オリンピック」での戦い(ラーメンマンとの試合はすごかった!)からの大ファン!
そういえば、あの頃は甲子園で試合をしたりしていましたよね!!
(掛布選手が登場したりしました)

興奮しすぎました・・・。
何はともあれ、ブロッケンは私の中の「ヒーロー」でした。

似顔絵も、いまだに何も見ずに書けますもん。

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似ているかどうかは別ですが(汗)!

「夢の超人タッグ編」でウルフマンとタッグを組みましたなあ!
"モーストデンジャラスコンビ"!!
バッファローマンのフォール、潔かったですなあ!!

また、興奮しすぎました・・・。

とにかく、友人と久しぶりに「キン肉マン」の話で盛り上がり、楽しかったです。

「キン肉マンⅡ世」でもいい味を出していると聞きましたが、8巻くらいまでしか読んでいないんですよ。

時間を見つけて、また見ます。

さて、今の私がつけているものはというと・・・
「熱血!タイガース党」ストラップ(赤)。

キャンプ地・安芸(高知県)でも発売中ですので、是非お買い求め下さいね!!

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トマトジュース

沖縄から帰ってきました。
いやあ、寒かったッス(日本ハム・中田翔口調ッス)。

あまりにお日様を見なかったので、携帯メールの絵文字は太陽マークを多用しました。

ちょっと気分が冴えない私を支えたのは、トマトジュース。
滞在3日間、毎日朝食の締めは決まり。

トマトジュースとの付き合いは、もう30年に及びます。
元々トマトは好きですし。
3~4歳の頃は、特に中の果実が大好きで、皮を食べずに吸ってばかりいたそうです。

朝のトマトジュースは最高です。
ギンギンに冷えたトマトジュースなんて、もう筆舌に尽くしがたいの一言。
ただ、氷は入れません。
溶けて味が薄くなるのが嫌だから。

「一つしかこれから飲み物を飲めないとなれば何を選ぶか」と問われたら、水・・・ですけど、ジュースなら間違いなくトマトジュースです。

なかなか自動販売機に置いていないので、手軽に飲めないのが残念ですけど。

最近、野菜ジュースに押され気味なので、気合いを入れる意味でも最終日は2杯飲んでおきました!

頑張れトマトジュース!!

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Jリーガーを目指して

すごい雪でしたね~。
寒かったですね~。
今日、私は淡路島に行って来ました。
温泉?いえいえ、仕事です。

アスパ五色という人工芝のグランド。
高校サッカー新人戦、準決勝の会場です。

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第1試合は神戸科学技術が2-1で飾磨を下しました。
このコラムでも何度か紹介しましたが、さすがは昨年の全国高校選手権の兵庫代表。
主将の朴も「去年のチームを超えるためには、まずこの新人戦、優勝しなければならないんです」と強い口調で言い切りました。

そして、第2試合は滝川第二を準々決勝で破った市立尼崎と初優勝を目指す県立伊丹高校。

実は、県立伊丹には、昨年日本代表で戦った選手がいます。
ボランチの米本拓司くん。

今、岡田監督率いるサッカー日本代表はワールドカップを目指し奮闘中ですが、「FIFA ワールドカップ」と名の付く大会は3つあります。
4年に一度、世界最高峰の戦いがご存じ「ワールドカップ」。
そして、2年に一度開かれる「U―20(20歳以下)ワールドカップ」と
「U―17(17歳以下)ワールドカップ」の3つ。

米本くんは、昨年韓国で行われた「Uー17ワールドカップ」に日本代表として出場したのです。

プレーに派手さはありませんが、確実に中盤の底で相手の攻撃の芽を摘み取るのが身上。
右足のキックは強烈ですし、ヘディングの高さもある。
もちろん夢は「Jリーガーになること」。

彼の特筆すべきは、高校のサッカー部に所属しているという点。
ワールドカップ選出メンバー21人中14人、つまり3人に2人はJリーグのユースチームに在籍しています。
Jリーグ誕生以降、高校年代の優秀な選手はJリーグの下部組織に集まる傾向があると言われています。
米本くんも高校進学時にJユースから誘いもあったそうですが、敢えて地元の公立高校に進みました。
そして、この年代の日本代表に選ばれる快挙。
この春、3年になりますが、将来が期待されます。

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米本くん擁する県立伊丹高校は、雨にも負けず粘りのサッカーを展開。
後半ロスタイムに決勝点を挙げ、見事決勝進出を果たしました。
「本当に嬉しいです。次も絶対勝って、優勝したいです」と試合後は、笑顔満開でした。

チームの主将も務める米本くん。
準決勝前の練習では、雰囲気があまり盛り上がらず、あまり声も出ない状況に業を煮やし、「ちゃんとやろうや!」と激しい口調でチームメートを鼓舞。
主将としてチームをまとめる難しさを感じたのか、練習後、一人涙を流していたという情熱家でもあります。

県立伊丹高校は県大会で優勝したことがまだ一度もありませんので、新しい歴史を作れるか、注目です。
決勝はあさって、アスパ五色で午後1時キックオフ!

あ、米本くんの特集を来週、ニュースシグナルでする予定です。
放送は2月14日(木)。

是非、ご覧下さい。

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