彼は、今年30歳になる。
出身は島根県。高校時代、益田東高校で甲子園に出場した。
大学は、東都の名門・駒沢大学に進む。
肩のケガがつきまとい、2度の手術。
2学年先輩に新井(阪神)、同級生に武田久(日本ハム)がいた。
社会人・ヤマハに就職。2年目の2002年、小気味よい投球がスカウトの目に留まり、
阪神がドラフト6巡目で指名。
プロ野球選手になった。
プロ1年目は、18年ぶりの優勝に湧いた2003年。5試合に登板する。
2年目の2004年には、22試合で5勝0敗の成績を残し、
翌年以降の活躍が大きく期待される。
しかし、彼のプロ人生は2005年から歯車が狂い始めた。
前年オフに感じた肩の異変が収まらず、6月、肩の手術。
実戦復帰まで、およそ1年を要した。
そして、昨年。
チームは井川が抜けた。左投手の成長は急務だった。
背番号も変わった。
「今年こそ!」
首脳陣も、もちろん本人も、背水の気持ちでシーズンに臨む・・・はずだった。
キャンプ終盤、運命の2月22日。
紅白戦。初めての実戦。
野球ができる。投げられる。心は喜びに満ちあふれていた。
先頭打者フォアボールで、初めてのセットポジションとなる。
打者は親交の深い同い年の浜中。
その初球だった。
「ブチッ!」
キャッチャーミットに届いているはずのボールが目の前を転がっていく。
「あの瞬間、(野球人生が)終わったと思いました」
マウンドに慌てて駆け寄ってきたトレーナーは、泣いていた。
左広背筋肉離れ。
それでも、復帰に向けて、毎日懸命に汗を流した。
夜になると、「明日はいけそうだ」、
しかし、朝になると「やはりダメか」、
その繰り返し。
結局、あの日(2月22日)のマウンドがトラウマに。
思い切って、腕が振れない。
「心では振れると思っていても、体は応えてくれませんでした」
彼が、阪神のユニフォームで再びマウンドに上がることは、なかった。
10月。戦力外通告。
その瞬間、彼は泣いた。
悔しかったからではない。
「もう、投げなくていいんだ・・・」
そう思うと、泣けてきた。
5年間のプロ野球人生は終わった。
2008年、春。
彼はスーツ姿で、現れた。
名刺には「株式会社 ワァークスジャパン」。
ちょっとふっくらした体に柔和な笑顔。
8キロ太ったそうだ。
主な仕事は、週に一度、阪神の二軍選手の素顔をインターネットで紹介すること。
慣れない手付きでパソコンと向き合っている。
第二の人生、何をするか迷った。
いろいろな選択肢があった。
一番の思いは「野球と関わっていたい」だった。
新たな夢ができた。
「僕のように、野球ができなくなっても、
何か関われる仕事がある環境を作りたいんですよ。
夢が潰えた選手の助けになれたら、最高ですね。」
三東洋。
第二の人生は始まったばかりだ-。

この日の取材対象は桟原

PS.3月14日放送の「熱血!タイガース党」で三東さんの特集を放送します。
是非、ご覧下さい。