清原選手 引退

清原選手が引退しました。
各世代、それぞれの思い出があることかと思います。

昭和49年生まれ、現在33歳の私の場合―

1985年8月14日-10歳(小学5年生)のボク。

夏の甲子園、準々決勝。第一試合、高知商業戦。
中山投手(元中日)の快速球をレフトスタンドにたたき込んだシーン。
夏休み、寝ぼけ眼をこすりながら観戦も、この特大アーチで一気に目が覚めました。
“どこまで飛んでいくんだろう!”

1987年7月28日―12歳(中学1年)のオレ。

清原選手と同い年の兄と人生初めてのオールスター観戦。
実は、この年から眼鏡をかけ始めましたが、当時は学校の授業中のみ。
事もあろうか、この日、持ってくるのを忘れてしまいました。
外野席だったため、ぼやけてしか見えません。
試合開始。やはりハッキリとは見えず。
打者・清原、投手・桑田。
“これは世紀の対決、見逃してはならぬ”と双眼鏡を取り出し、ジッと眺めました。
「うわ、打った、ホームランや!」
双眼鏡のため、打球がどこに飛んだか分かりませんでしたが、角度で想像はつきました。
今でもあの双眼鏡で見た清原選手のホームラン、目に焼き付いています。

時は流れ、2006年5月27日―31歳(アナウンサー9年生)の私。

オリックス・横浜戦の実況を担当。
その日は加藤秀司さんがサンテレビ初登場の日で、福本豊さんとのコンビ。
「今日は阪急黄金コンビの解説だから、昔話も織り込んで中継を」とスタッフと打ち合わせをしていました。
8回を終わって、オリックスがリードされる展開も重なって、昭和50年代の話が盛りだくさんで9回裏へ。
そして、皆さんご承知の通り、逆転サヨナラ満塁本塁打!
直前に牧田という一軍でなかなか結果を残せなかった私と同い年の選手がしぶとく
ライト前にヒットを打った直後でした。
みんなが繋いだチャンスを最高の結果に変える背番号5の姿を見て鳥肌が立ったのを昨日の事のように思い出します。
ヒーローインタビューで小浜アナウンサーのマイクを奪い取って(?)、「野球やっててよかった」と絶叫したのがまさに印象的!

そして、昨日-。

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清原選手登場直前

練習中、「北海道から来ました~!」というファンに笑顔で応える姿。
優勝決定試合、日本シリーズとは全く違う報道陣の緊張感。
(元PL監督の中村さんの姿にミョーに感動した私)
特設グッズ売り場の長蛇の列。(試合前にはほぼ売り切れ!)
“長渕剛様 控え室”の張り紙に対する鳥肌。
打席ごとの無数のフラッシュ。
すべて直球で挑んだソフトバンク・杉内の気迫。
タイムリーとフルスイングの三振。

どれも最高でした。

オリックスは11年ぶりに2位確保、CSに初めて出場します。
清原選手が一軍復帰以降、チームは快進撃。
もちろん小松投手ら若手選手の活躍もありましたが、清原選手の存在も欠かせなかったはず。

今年センターのポジションを獲得した24歳坂口選手は、今年、清原選手からイチロー選手のバットをプレゼントされたそうです。“これ、バットケースに入れておくか?”という一言とともに。
「本当に嬉しかったです。清原さんも、バリーボンズのバットを入れてらっしゃると聞いて。僕もすぐ入れさせてもらいました。時々、イチローさんのバット触ったりすることもありました。これでひょっとしたらもっとヒットが打てるようになるかなって(笑)ホント清原さんには感謝しています。僕も、どの球場に行ってもファンから声援をもらえる清原さんのような選手になりたいです。もちろん、そのためにはもっと練習しなければなりません。頑張ります」。

オリックスに、そして球界に、もちろんファンに清原選手が残した功績は計り知れない-。
23年間、本当にお疲れさまでした。たくさんの感動をありがとうございました。

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四番清原もこれで最後か・・・

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