第89回全国高校サッカー選手権大会。
私はこの大会を一生忘れない。
地元・滝川第二が初優勝。兵庫県勢実に72年ぶりの快挙だった。
1984年、サッカー部員17名で始まった歴史は創部27年目で悲願の全国制覇に辿りついた。全日本ユースのタイトルを黒田前監督ラストイヤーに獲得はしているが、どうしても欲しかった選手権のタイトル。
16度目の出場にしてようやく栄光を掴んだ。
ただ、そこに行き着くまでには、様々な苦闘があった。
特に過去3度、破れなかった「準決勝・国立の壁」。
私はこの3試合、すべて国立の滝二ベンチの横でリポートを担当した。
東福岡、市立船橋、国見。一度もリードを奪えなかった。
後者の2試合は、ともに完封負け。完敗だった。
国立にいいイメージはなかった。
今回は島根の立正大淞南が相手。県勢初の国立とは言え、
河本選手(現ヴィッセル:当時3年)・岡崎選手(現日本代表・清水・当時2年)を擁した第82回大会の3回戦でも相当な苦戦を強いられた。後半37分、河本選手のヘディングシュートで1点をもぎとり、辛くも勝った思い出があり、今回も厳しい試合になると予想していた。
予感は的中した。
「引退がよぎった。あ、神戸に帰らなあかん」と浜口主将が思ったという後半40分過ぎ、立正大淞南・加藤選手のシュート。ベンチからは、本当に見にくい角度で、ポストを通り過ぎるまで、何が起きたか分からなかった。私も負けを覚悟した。
過去、滝二は優勝候補と言われながらも、優勝旗を手にすることはできなかった。
中には、バーやポストに嫌われて負けた試合もあった。
例えば、83回大会、後半35分過ぎ、岡崎慎司選手のシュートは星陵GKのファインセーブに阻まれ、1点差に泣いた。
例えば、85回大会、内田選手(現大分・当時3年)と橘選手(大阪産業大→今季から清水入り・当時2年)のFKとシュートはともにクロスバーに当たり、鹿児島実業に0-1で惜敗した。“たられば”は禁物と分かっていても、思わずにはいられない試合がいくつもあった。
準決勝には、数多くのOBが国立へ。加藤選手のシュート。
今まで涙を流した歴代すべてのOBの思いが、ポストの左横へと“曲げた”と思ったのは
私だけだろうか。
滝二は4度目の挑戦だ。
いつか、加藤選手を含む立正大淞南の全OBの思いが、“国立一勝”へと繋がる日が来ることを信じている。
結局、すさまじいPK戦の末、滝二は勝った。
初めての決勝進出。
栫監督の携帯が鳴りやまない状態になったのは、この瞬間からだった。
PS.プロ野球のキャンプ取材の時期になりましたが、数回にわたって
高校サッカー中継で感じたことを私なりの視点で書かせていただきます。
大変遅くなりましたが、今年もコラムにお付き合いの程、よろしくお願いします。