アナウンサーの魅力の一つに「人との出会い」があります。

横山監督(右)と
それに“再び”という要素が加われば、感激もひとしお。
3月某日、私はある人と再会しました。
その人は、横山知彦さん。
新潟県・長岡向陵高校の教諭でサッカー部の監督でもあります。
私は隔年で高校サッカー全国大会・兵庫代表の初戦を実況していますが、前回担当したのが、「滝川第二高校VS長岡向陵高校」の試合。(2004年1月2日)
当然、両校の取材をしますので、横山監督との出会いは2年前の12月になります。
当時の長岡向陵は初出場。
「全国大会に出られた喜びよりも、この子達とお正月まで一緒にサッカーをできるのが幸せなんですよ。」
この言葉に代表されるように、“とにかく生徒自身を愛してやまない方”という横山監督の印象でした。
残念ながら、試合は滝川第二が3-0で勝利しましたが、公立校らしくひたむきにボールを追いかける姿は、本当に好感が持てました。
そして、去年、私は密かに長岡向陵に注目していました。
インターネットで新潟大会の動向もチェックし、できればまた全国大会で再会できればと思っていました。
ところが・・・、突然の新潟中越地震。
予選前日の夕方だったそうです。
「もうダメだと思った。部屋の端にあったタンスが、気付けば真ん中にあってゾッとした。」(横山監督)
幸いにも部屋の被害は大きくなかったそうですが、10日間ほど学校などでの避難生活を余儀なくされました。
当然、翌日の試合は延期に。
私はあの日、テレビでニュースを見て、真っ先に監督の事が頭に浮かびました。
すぐにでも電話をしたかった。
でも、阪神淡路大震災を大阪でとはいえ、経験している身。
大変な時に電話して迷惑になってしまったら・・・。やっぱりできませんでした。
「電話?意外とつながりましたよ。ただ、バッテリーがすぐなくなっちゃったんですよ。
充電したくても、私だけじゃないし。ちょっと困りましたね。
でも、避難所に行った時にまず確認されたのが
1.ブレーカーを落としてきたか
2.鍵をかけてきたか
3.元栓を開いていないか
この3点でした。
ブレーカーはそのままにしてきちゃいましたけど、それ以外は貴重品も含めて対処してきた。阪神大震災の教訓は生かされたと思います。」
チームは2週間後に練習再開。ただ「正直言って、サッカーをしていていいのか毎日自問自答を繰り返す日々」だったそうです。
結局、準々決勝で東京学館新潟に1-6で敗れ、2年連続全国大会出場は夢に終わりました。
この直前、ある色紙が学校に届きました。
前年、対戦した滝川第二高校サッカー部からでした。
“地震に負けるな!”“頑張れ!!”など、激励の文字が所狭しと並んだ色紙。
「震災を経験した者として、とても他人事とは思えなかった。何か力になれないかと・・・」(滝川第二・黒田監督)
「ビックリした。見た瞬間、泣きそうになりました。ホント嬉しかった・・・」(横山監督)
こうして、両校は思わぬ災害で絆を深めていったのです。
この後も、お互いに千羽鶴を送りあったり、今年の全国大会に長岡向陵が埼玉・駒場まで応援に駆けつけたり。
そう言えば、初戦の星稜戦、黒田監督がイレブンにかけた最後の言葉は、「長岡も来てくれているよ」でした。

滝二父母会のみなさん
おでんありがとうございました!

夕食会での横山監督と黒田監督(右)
そして!!
この春、両校が1年半ぶりに相まみえることになりました。
滝川第二が長岡向陵を招待するという形で、学校に集結。
もっとも、横山監督の狙いは滝二と試合をすることよりも、むしろ“神戸の街”を肌で生徒と感じること。そこで、合間を縫って三宮からハーバーランド近辺を散策。
また、神戸・中央区にある「人と防災未来センター」にも行き、当時の阪神淡路大震災の状況を目の当たりにしました。
「長岡の街もこれから復興していかなければならない。だから“復興した神戸”を見たかった。やっぱり来てよかった。勇気付けられました。当時と現在を見られて、生徒にもダイレクトにいろんな事が伝わったと思います。」
私は横山監督と再会を果たしました。
ずっと、気になっていただけに会えて本当に嬉しかったです。
でも、会えた喜びと同時に宿題ももらいました。
震災から10年。
さらなる復興に向け、いったい自分に何ができるのか。
つまりは兵庫県民として、神戸市民としての責任。
アナウンサーとしてだけではなく、一人の人間としての責任。
これから自問自答しながら、また横山監督と話をしたいと思います。
できれば、高校サッカーの全国大会で・・・。
P.S. この詳しい模様は3月23日の「ニュースEyeランド」で放送されます。是非、ご覧下さい。