憧れの人

私は兵庫県西宮市出身です。
生家は、甲子園球場から自転車で7~8分の距離でした。
子供の頃から父親によく言われていました。
「近くに住んでた松田君はずっと野球をしていたで」

松田君とは、松田慎司さん-。
報徳学園出身で社会人西濃運輸を経て、1992年ドラフト2位で日本ハム入り。
そのあと、ダイエー・ヤクルトへと移籍し、2003年引退。
現在はヤクルトのスカウトをされています。

松田さんは、私の子供の頃からの憧れの方でした。
父から口癖のように言われていたことと、決定的だったのは兄と同級生だったこと。
直接同じクラスになったことはありませんでしたが、何度か公園で野球をしたことがあったとか。

昭和60年、春のセンバツ。
まもなく小学5年生になる春休み。
時はPLのKKコンビ全盛期。
エース松田擁する報徳学園も出場。
「あき、松田君、甲子園出てるわ」
兄の一言から、私はテレビに釘つけになりました。
2回戦、優勝候補の横浜高校戦。逆転勝ち!兄と歓喜。

準々決勝では、この大会準優勝する帝京高校と対戦。
この時、風邪を引いていて、病院にいた私。
病院に設置されていたテレビのチャンネルは、毎日放送のセンバツ中継でした。
またまたテレビに夢中になった私。
試合は2-7で敗れ、チョー落胆。
その時、病院の受付の女性が私に言いました。
「本当に患者さんですよね??」

時は流れて2001年。
ヤクルト戦の中継の前に、私は高鳴る鼓動を抑え、ヤクルトベンチへ。
170㎝の小柄な憧れの人は目の前にいました。
「す、す、すいません。サンテレビのアナウンサーの湯浅と申します。
じ、じ、実は兄が松田さんと小学校の同級生でして、昔からずっと見てました。」
と一気にまくし立てました。
背番号49のサウスポーは、そんな見知らぬ27歳を温かい笑顔で迎えてくれました。
「そうなんや、誰?湯浅?覚えてないなあ。でも、嬉しいなあ。ありがとう。」
この夜、興奮気味に実家に電話したのは言うまでもありません。

そして2009年。
スカウトに転身されてお会いする機会はあまりなかったのですが、
先日、久しぶりに再会。
担当していた三菱重工神戸の山本哲哉投手(今ドラフト2位で指名)の仮契約の取材でした。
24年前、テレビで見たまんまの笑顔で、気さくに写真撮影にも応じてくれました。
まさに、気持ちは小学5年生にタイムスリップ!
その夜、兄に画像付きのメールを送ったのは言うまでもありません。

山本投手は、即戦力右腕として期待が高いようです。
もし、彼が投げている試合を実況する事があれば、
松田さんの顔をオーバーラップさせて喋るのかなあ(笑)

03

This entry was posted in 日記. Bookmark the permalink.