和衷協同(前編)

「和衷協同(わちゅうきょうどう)」
辞書によれば、“心を同じくして、ともに力を合わせること”。

第92回全国高校サッカー選手権大会に兵庫代表として出場した
神戸弘陵学園高校のチームモットーだ。

最初は聞きなれない言葉で、意味も正直知らなかった。

母校を率いて8年目で悲願の初全国となった谷純一監督をはじめ、
濱田・小池・末金・森コーチ、山本トレーナーの6人のチームスタッフの思いは
すべてこの言葉に凝縮されている。

サッカー部員は121名。今大会に出場した48校中、7番目の多さ。
トーナメントを勝ち抜いていくためには、当然、全員一丸になることが必要になってくる。

谷監督は就任当初から、常に“チームの和”を求めてきた。

だから、スタッフには、選手全員に、特にBチーム(公式戦に出られない選手)の選手に、毎日声をかけてほしいと
お願いをした。

例え、サッカーが上手くても、学校生活を怠った選手には厳しく接した。
その選手を出さずに、県大会で早々と姿を消したこともあった。
でも、軸はブレなかった。

そういう姿は、他校の指導者にもすぐ伝わる。
意外とみんな敏感だ。それが、自分と同じポリシーなら、より一層。

今回、県の選手権予選は3年連続で決勝に進出、過去2度は敗戦。
3度目の正直で全国への切符を手にしたが、ライバル校の監督が何人か涙を流していた。
「谷―、よかったな」と。

兵庫県の高校サッカー界にはよき伝統がある。
選手権予選が終わってから全国大会までの一か月ほどの間で、指導者による“優勝校の祝勝会&壮行会”が
長年、行われている。
幹事は決勝で敗れた準優勝校の監督。
今回は、神戸国際大附属の石塚監督がその役だった。

複雑な思いもあるだろう。あと一歩で、全国を逃した監督が優勝校のために動くのだ。
そこはよき伝統の継承、石塚監督は熱心に声掛けをして、約60人が集まる盛大な会になった。

宴も穏やかに過ぎ、やがて、他校の監督からの激励、そして、神戸弘陵のスタッフが抱負を披露する時間に。
そこでサプライズが。

今回決勝で戦った神戸国際大附属には、この春で定年を迎える八木重光総監督がいる。
八木総監督とは谷監督が神戸弘陵の選手時代、国体スタッフでお世話になった間柄でもあった。
その御礼もこめて、弘陵のスタッフがベンチコートをプレゼント。

「僕は神戸で、兵庫でサッカーマンとして育ちました。今、チームが神戸の、兵庫の指導者の方々に育ててもらってます。
兵庫の代表として簡単に負けられません。頑張ってきます!」

会は、谷監督のコメントで締めくくられた。
サッカー王国・兵庫が、まさに「和衷協同」、一体となって選手権に挑んだ。

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校歌

校歌って歌えますか?
高校時代は、クラブ活動はしていませんでした。
だから、母校の校歌、全く歌えません。
PL学園や近大付など、高校野球の強豪なら歌えますけど(笑)

滝川第二サッカー部の栫監督が国立競技場で校歌を聞きながら涙を流した姿を見て
感動したのに加え、ちょっと羨ましかった思い出があります。

あ、ありました。
幼稚園!
兵庫県生まれの私は、西宮今津幼稚園に通ってました。
「い~まーづ ようちえ~ん」
1年しか通っていなかったのですが、最後のフレーズはなぜだか、すごく覚えています。

今年、幼稚園の後輩と仕事をする機会がありました。
アテネ五輪女子マラソン代表・坂本直子さん。
いつかお会いしたら絶対その話題を振ろうと決めていたのですが、
春の「兵庫リレーカーニバル」でついに実現したのです。

「じゃあ、僕が先輩なので、よろしく頼むわ!」
「あ、先輩、こちらこそ、不慣れなのでよろしくお願いします!」

初対面なのに、これくらいの“ノリ”ができる、本当に気さくな方でした。

その坂本さんは17日に放送される神戸マラソンでゲスト出演します。
サンテレビアナウンサーも全員が揃う、1年に1度、本当に楽しみな中継です。
是非、ご覧下さい!

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「『奪』から『頂』へ」

前回、コラムで記した滝川第二の好スタート。
2回戦も苦しみましたが、PKで山口・聖光を下して、3回戦へ。
岡山・作陽との大勝負を迎えます。

今年度のチームは、漢字一文字「奪」という言葉がテーマでした。
滝二では2002年度のチームから、毎年、漢字一文字をその年のテーマと決めています。
2002年度といえば、河本(ヴィッセル神戸)が2年生、岡崎(日本代表)が1年生でした。
最初は「一」。
“全国で一番になる”という思いが込められていました。
金崎(元名古屋)がいた2006年は「向」、全国制覇時は「志」
そして、11年目の今回は「奪」-。

「昨年取られた県のタイトルを奪い返すという意味」(太田主将)で始まったこのテーマも
選手権出場が決まると同時に、「今度は優勝旗を奪い返す」(太田)に変わっていました。

テーマを成し遂げるためにも大切な一戦でしたが、結果は2-5。
栫監督曰く、「完敗」の試合でした。

作陽の野村監督を何度か取材させていただきましたが、本当に研究熱心で、
滝二戦もキーマン⑦高畑をよくマークしていました。
滝二はどちらかというと、相手に合わせるより“滝二らしさ”を出して勝つという伝統があるので、
それがこの試合に関しては裏目に出てしまったかなと個人的には思っています。

ただ、後半アディショナルタイム、試合の行方が見えた中、1点をもぎとった姿勢。
これこそが、滝二の未来に必ずや、つながるでしょう。
栫監督はあの1点を見て、泣いていました。
主将の太田も、応援団への挨拶で
「後輩のみんなは、あの1点を見て感じて欲しい。俺達は決して強くなかったけど、
あれが、1年間やってきてみんなに伝えたかったことや」と涙ながらに話していました。

最後の1点を見て、私はあるシーンを思い出しました。
あれは80回大会2回戦、滝川第二VS静岡学園。
この試合、滝二は0-5で大敗しました。
本来なら0-6のゲームでした。

しかし、6点目は入りませんでした。正確に言えば、阻止しました。
誰もが6点目と思ったシーン。
無人のゴールへ吸い込まれていくボールに最後、足を出して止めたのが
当時の黒田主将でした。
それを見ていた応援席の1・2年生は、
「5点差になってもあきらめない姿勢はすごかった。6点目を阻止したシーンは絶対に忘れません」と
みんな口を揃えていました。
翌年、滝二は2度目の国立行きを決め、全国ベスト4まで勝ち上がりました。
そう、2002年度のチーム、漢字一文字テーマが始まったチームです。
今回も最後まであきらめない姿、それを結果に結びつけられる強さ、きっと、後輩に受け継がれていくでしょう。

神戸に帰ってきて、滝二は、すぐに新チームが始動。
作陽戦の後、下級生で一番泣いていた星野遼河選手が新主将に、
テーマは「頂」に決まったそうです。
まだ取材はしていませんが、おそらく
全国の“頂”点を目指すという意味からでしょう。

また一年、兵庫の高校サッカーが本当に楽しみです。

兵庫の高校サッカーが本当に楽しみ

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侍登場

本年もコラム、お付き合いの程、よろしくお願いします。

高校サッカー決勝は、雪のためまさかの順延となりました。
鵬翔、京都橘のイレブンには、体調管理など難しい部分もあると思いますが、いい調整をして
是非ベストを尽くして欲しいですね。
そして、放送に携わる民放43社の仲間の皆さんも、あと1試合、本当に頑張って欲しい気持ちでいっぱいです。

さて、今大会、兵庫代表は滝川第二高校でした。
2年前の歓喜の全国制覇以来となる出場。攻守ともにケガ人が復帰し、
戦力が整ってきての県大会優勝だっただけに、
密かに上位進出も夢ではないと思っていました。

そんな中、迎えた昨年12月31日、千葉・市原臨海競技場。
相手は山形中央。試合開始1時間前に強力な“援軍”が現れました。

滝川第二OB・日本代表、岡崎慎司選手。
卒業して以来、2度目の母校の試合観戦。

何度か電話では話をしていましたが、実際に会うのは私も久しぶりで、再会できて嬉しかったです。
ちなみに前回話したときは、岡崎選手が偶然大阪にいて、テレビをつけたら、私が映っていたそうです。
番組は・・・「ヴィッセルスタジアム」。
「湯あっさん、テンション高いですねえ~。今、あんな感じなんですかあ?」なんていうやりとりでした。

それはさておき、試合は2-0で滝二が勝ち、いいスタートを切れました。
ロッカールームに帰ってくると・・・
テレビの中でしか見たことがない先輩が、いました!
偉大な先輩との“初対面”は、勝利の後ということもあって、全員興奮状態でした。

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大会前にも、練習用のコーンを数多くプレゼントして、
ドイツにいる間もいつも母校の動向は気にかけている岡崎選手。
「点を取ったあともゴールに向かっていく姿が見られてよかった。
全力でこれからも頑張ってください!」と笑顔で励ましていました。

翌日にはドイツに経った“侍”岡崎慎司。
きっと、母校の勝利で、また大いなるパワーをもらったことでしょう。
代表でもチームでもさらなる飛躍が楽しみです。

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無我夢中

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第90回全国高校サッカー選手権大会、市立船橋の優勝で幕を閉じましたね。

この決勝戦、私はその市船の応援席リポートを担当させていただきました。

感動でした。目の前で見た後半アディショナルタイムの同点劇。

相手の三重・四日市中央工業は20年ぶりの決勝進出。
20年前、私は高校2年生でした。後半終了間際の小倉さんの同点ゴールは
鮮明に覚えています。

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今度はその時間に逆に追いつかれる、何てドラマチックなんでしょう!

同点の瞬間、市船応援席はみんな涙・涙・涙。特にメンバー外の3年生。

決勝当日の朝、ミーティング中の宿舎に行って、選手を励ました彼ら。

現れた瞬間、レギュラーはみんな泣いたそうです。

「心をひとつに」と応援団長の佐藤くん(3年)。

日本代表・岡崎慎司選手は「あれほど熱くなるものはない」と言い、
ヴィッセル神戸の大久保選手が「今の僕がある原点」と言う高校サッカー選手権。

今回、“応援席こそ高校サッカーの象徴”であることを改めて学ばせてもらいました。

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試合後、ふと応援席から空を見上げると、夕日が真っ赤に染まっていく・・・。

これが何とも言えないんですね。滝二の3人が返還した優勝旗を“奪還”した市船。

6年連続で初優勝校が誕生していましたが、その記録も途切れました。
このあと、また伝統校が息を吹き返すのか、それともまた新鋭校が出てくるのか、

今後の行方がますます楽しみになった90回でした。

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筋肉痛

かつて野球少年でした。

サッカーはボールを買ってもらって友達と遊んだことはありましたが、
本格的に習うことはありませんでした。

でも「キャプテン翼」は大好きでした。
ヴィッセルのGK徳重選手が実際に試したという立花兄弟の“スカイラブハリケーン”が
大のお気に入り。
そして大空翼と中沢早苗の恋愛にドキドキ。
当時、週刊少年ジャンプでは「きまぐれオレンジロード」の春日恭介と鮎川まどかの恋愛模様と双璧でした。

話が逸れました。

自分にとって、サッカーは“するもの”ではなく“見るもの”。

アナウンサーになってもそれは変わらず。

が、しかし!

先日、ヴィッセルスタジアムで共演させていただいた栗原圭介さんを特別講師として
「ヴィッセル神戸 大人のサッカー教室」へ一日体験入学してきました。

ボールの蹴り方、ドリブルのコツ、初めて知ることばかりでした。

実際に受講されている方も皆さん、本当に優しく、ミニゲームでは私に点を取らせてあげようと
素晴らしいパスが何度も来ました。

「キャプテン翼」で、中学3年時、翼擁する南葛中のライバル大友中の浦辺が
後輩・新田に何度もパスを出し続けたように。

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栗原さんとスタッフの皆さん!

いい汗かきました。いい湯気出ました。
次の日、人生最大の筋肉痛でした・・・。

果たして得点は?サッカーの上達具合は?
詳しい模様は2月8日放送の「ニュースシグナル」で放送されます。
ご覧頂ければ幸いです。

本年もこのコラム、お付き合いの程、よろしくお願いします。

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今月20日、神戸市内のとあるレストラン。
滝川第二高校サッカー部OB会主催の優勝祝賀会が行われた。
参加は総勢およそ70名。

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歴代のユニホーム(暗くてスイマセン!)

所狭しと並べられたユニフォームは歴代の滝二の勝負服。
初代ユニフォームはスクールカラーの青を基調に、左胸付近に漢字で「滝川第二」の文字。
中央にローマ字が並び、肩に紺と赤のポイントの入った現在のユニフォームとは全く違うデザイン。まさに歴史を感じさせるもの。

会は、過去の映像が流れたり、1期生から昨年度卒業の24期生までそれぞれの代表がスピーチをしたりと、終始和やかなムードに包まれた。
優勝旗や優勝トロフィーも臨時出張。
主賓の黒田前監督は「滝二での監督生活は第二の青春だった」と話し、
同じく主賓の栫監督も「OBが託した思いが"夢"の実現に繋がった」と粋なコメントで花を添える。

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スピーチする黒田前監督
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栫監督

昭和59年創部の滝二サッカー部―。
1期生はわずか17名。
練習が草むしりと水まきで終わった日もあったという手作りのチーム。
「3年目で全国に旋風を起こす」が黒田監督(当時)の合言葉だった。
その言葉通り、創部3年目でインターハイ・選手権ともに初出場。
翌年、昭和62年の全国インターハイ、2度目の出場で早くもベスト4入りを果たす。
ちなみに、その昭和62年のインターハイ、優勝は市立船橋(千葉)で初出場での快挙。
前年度の優勝は、2度目の出場・国見(長崎)。
つまり、高校サッカーのいわゆる名門校と"全国デビュー"はほぼ同じだったのだ。
ただ、上記の二校が早々と全国優勝のタイトルを獲得したのに対し、滝二の栄光への道のりは想像以上に長かった。
実に創部27年目で手にした初の栄冠。がゆえに、感慨もひとしおなのだ。

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みんな笑顔!

1月10日決勝。
優勝の瞬間、応援スタンドに駆け付けたOBは、泣かずにいられなかった。
そして、この日、最後に挨拶をした坂野OB会長は、また、泣いた。
「先輩もいない滝二に初めて来た日の事を思い出して・・・」
会場からは自然と拍手が起きた。
やはり、今回の優勝は、気付けば600名を超えたOBすべての思いの結集であったのである。

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第77回大会の全国高校サッカー選手権、私はアナウンサー1年目だった。
高校サッカーに携わって、いきなり県勢初の国立を経験。
緊張しすぎてマイクのスイッチをオンにしても、声が出ないこともあった。
ただ、1年目に大舞台で経験を積めたことは、今の自分の礎となっている。

その12年前、兵庫県勢、そして滝二初の国立進出の立役者となったのは、
通算8ゴールで大会得点王、FWの林丈統選手(現千葉)。
3回戦での清水商業戦でのハットトリックは、強烈な印象として今も記憶に残る。

今大会期間中、滝二出身のJリーガーも母校の動向を気にかけていた。
首都圏のチームに在籍している選手が少ないため、直接競技場まで足を運べる選手は限られていたが、それでも、差し入れをしたり、首脳陣を通じてメッセージを送るなど、自らが果たせなかった夢へのバックアップに懸命だった。

林選手もそのウチの一人。
残念ながら所用のため、試合を観戦することはできなかったが、
ならばと、神奈川市内の宿舎を電撃訪問。

準決勝前日の1月7日夕方。
栫監督の要請で急遽、ミーティングで話をすることになり
「何話たらいいんですかねえ」と焦りの表情をロビーで見せながらも
後輩を前にすると、そこはさすが先輩の貫禄。
「まずは国立の雰囲気を楽しんでください。1プレー1プレーを一生懸命するのは当たり前。サッカーは楽しまないと面白くないし、イコール、プレーしている選手が楽しかったら見ている方も楽しくなるもの。自分を信じてみんなを信じて頑張ってください」と
重みのあるコメントで志気を高めた。

これも栫監督からのお願いで、浜口主将が左腕に巻いている主将マークの裏に
直筆メッセージを残した。
書いた言葉は"楽しめ"!

滝二は過去3度の国立準決勝で2点しか取れていなかった。
その2得点はいずれも林選手。
今回の決勝で、12年ぶりに国立で得点を挙げた。
得点者は、林選手のメッセージ入り主将マークを巻いた浜口選手と
林選手と同じ大会8得点でフィニッシュした樋口選手。
そして、当時の林選手の背番号「9」を背負った本城選手。

伝統が受け継がれたゆえの優勝でもあった。

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第89回全国高校サッカー選手権大会。
私はこの大会を一生忘れない。
地元・滝川第二が初優勝。兵庫県勢実に72年ぶりの快挙だった。

1984年、サッカー部員17名で始まった歴史は創部27年目で悲願の全国制覇に辿りついた。全日本ユースのタイトルを黒田前監督ラストイヤーに獲得はしているが、どうしても欲しかった選手権のタイトル。
16度目の出場にしてようやく栄光を掴んだ。
ただ、そこに行き着くまでには、様々な苦闘があった。

特に過去3度、破れなかった「準決勝・国立の壁」。
私はこの3試合、すべて国立の滝二ベンチの横でリポートを担当した。

東福岡、市立船橋、国見。一度もリードを奪えなかった。
後者の2試合は、ともに完封負け。完敗だった。

国立にいいイメージはなかった。

今回は島根の立正大淞南が相手。県勢初の国立とは言え、
河本選手(現ヴィッセル:当時3年)・岡崎選手(現日本代表・清水・当時2年)を擁した第82回大会の3回戦でも相当な苦戦を強いられた。後半37分、河本選手のヘディングシュートで1点をもぎとり、辛くも勝った思い出があり、今回も厳しい試合になると予想していた。

予感は的中した。
「引退がよぎった。あ、神戸に帰らなあかん」と浜口主将が思ったという後半40分過ぎ、立正大淞南・加藤選手のシュート。ベンチからは、本当に見にくい角度で、ポストを通り過ぎるまで、何が起きたか分からなかった。私も負けを覚悟した。

過去、滝二は優勝候補と言われながらも、優勝旗を手にすることはできなかった。
中には、バーやポストに嫌われて負けた試合もあった。
例えば、83回大会、後半35分過ぎ、岡崎慎司選手のシュートは星陵GKのファインセーブに阻まれ、1点差に泣いた。

例えば、85回大会、内田選手(現大分・当時3年)と橘選手(大阪産業大→今季から清水入り・当時2年)のFKとシュートはともにクロスバーに当たり、鹿児島実業に0-1で惜敗した。“たられば”は禁物と分かっていても、思わずにはいられない試合がいくつもあった。

準決勝には、数多くのOBが国立へ。加藤選手のシュート。
今まで涙を流した歴代すべてのOBの思いが、ポストの左横へと“曲げた”と思ったのは
私だけだろうか。
滝二は4度目の挑戦だ。
いつか、加藤選手を含む立正大淞南の全OBの思いが、“国立一勝”へと繋がる日が来ることを信じている。

結局、すさまじいPK戦の末、滝二は勝った。
初めての決勝進出。

栫監督の携帯が鳴りやまない状態になったのは、この瞬間からだった。

PS.プロ野球のキャンプ取材の時期になりましたが、数回にわたって
高校サッカー中継で感じたことを私なりの視点で書かせていただきます。
大変遅くなりましたが、今年もコラムにお付き合いの程、よろしくお願いします。

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さわやかイレブン

1974年センバツ高校野球、蔦監督率いる徳島・池田高校は快進撃を見せ、
見事、初の準優勝を果たした。
ベンチ入りのメンバーはわずか11人。やっと野球ができる程の人数での快挙は
「さわやかイレブン」として人々の記憶に刻まれている。

さて、競技は変わり高校サッカー。
その年の秋以来、全国の舞台から遠ざかっていたのは、報徳学園サッカー部。
今年の選手権予選で、実に、36年ぶりとなる決勝進出を果たした。
緑のユニフォームを身にまとった選手達の溌剌としたプレーぶりは、まさに「グリーン旋風」。

3年前、かつて神戸弘陵の監督として5回全国高校選手権出場の経験を持つ神田豊秀監督が就任。メキメキと力を付けてきた。野球部・ラグビー部に続けと古豪復活に向け、厳しい練習に耐えてきた成果が今回の決勝進出に繋がった。

決勝の相手は、今年の夏、インターハイで創部以来最高の全国準優勝の名門・滝川第二。
戦前の予想では、滝川第二有利と言われていたが、何の何の、試合はPK戦までもつれる熱戦となった。

過去、89回を数える選手権予選の決勝でPKまで決着がもつれたのは、たった1回。
84回大会の滝川第二―関西学院の1試合だけ。
この時は滝川第二のGK清水(現大分)が3人連続のシュートストップを見せ、優勝に導いている。

以来5年ぶりのPK決勝。
9人目で決着するというすさまじい試合だった。

サンテレビは5年前、放送枠を延長したにも関わらず、試合のすべてを放送できなかった。
その反省を生かし、翌年からさらに放送枠を延長し、備えてきた。
が・・・滝川第二の勝利の瞬間から放送終了までおよそ2分。
まさに放送する側もギリギリの攻防だった。

敗れた報徳学園。だが、夢が途絶えた瞬間、画面は笑顔の選手をとらえた。
「敗れて悔いなし」。素晴らしいチームだった。

野球部から134個のメガホンを借り、声の限りを尽くした応援団。
メンバー外の3年生(武内・松岡・中元)に名前とメッセージを書いてもらった主将マークを腕に巻き、全員で戦うと誓った主将・奥村。
準決勝前日に、3年生全員に直筆の手紙を渡し、感謝の気持ちを伝えた神田監督。
まさに、力の限りを尽くした戦いだった。

試合後、私の携帯電話に一通のメールが入った。
全くサッカーに興味のない私の兄からだった。
「お疲れさん。すごい試合やったなあ。感動した。」
絵文字なしのたった3行のメール。
でもこの言葉が、この試合のすべてを表しているのではないかと思う。

試合後、挨拶にベンチへと向かうと、報徳の選手が一人一人握手してくれた。
涙はなかった。
「僕の事、ちゃんと言ってくれましたあ?」
「あのシュート惜しかったでしょ?」
予想外の言葉。高校サッカーの中継を担当させてもらって、負けたチームの選手と今でも
何人かは親交があるが、これほど、試合後にさわやかに会話した記憶はない。

冒頭のセンバツ高校野球―。
池田高校を破り、見事栄冠を勝ち得たのは・・・報徳学園だった。
それから36年後の高校サッカー兵庫大会、今度は準優勝の「緑の戦士」が
まさしく「さわやかイレブン」だった。

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