「伝えていくことは使命」94歳元民生委員の女性が語る避難所運営の苦悩と支え

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  • 岸明子さん(94)

  • 花松くび地蔵

  • 書道教室で教える岸さん

  • 伝承合宿での様子

  • 自宅での岸さん

  • 被災した直後の神戸市東灘区

  • 岸さんが当時の活動をまとめた文集

  • 岸さんと当時学生ボランティアだった谷村尚祐さん

  • 谷村さんと20年ぶりの再会した岸さん

  • 東遊園地を訪れた岸さんと娘の奈緒美さん

未来へのバトン

兵庫県神戸市中央区の東遊園地の追悼行事1・17のつどいで、2026年は灯籠で「つむぐ」の文字が記されました。

記者発表で公表されたボードの文字。

字を書いたのは、現在、94歳の岸明子さんです。

阪神淡路大震災当時、民生委員として

避難所の運営などに尽力した岸さんに話を聞きました。

兵庫県神戸市東灘区の住宅街にたたずむ「くび地蔵」。

地域住民によって1917年に建てられ、100年以上の間、地域を見守っています。

岸さん

「はっきりとしたお名前は『花松くび地蔵』。これが震災で倒れて、

兵庫県の宍粟の石屋さんがわざわざ来て化粧してくださった。きれいなお化粧してはる」

神戸市東灘区に住む岸明子さん(94)。

20年ほど前からくび地蔵のお手入れをしています。

そんな岸さんを地元の人は―。

近隣住民

「素晴らしい方。地域のことは何もかも100%ご存じ」

「この地域の三婆ちゃんの1人と言われていて、3人が中心となってこの地域を面倒見てくださった」

岸さんは1931年、有馬温泉の旅館の一人娘として生まれ、26歳の時に結婚。

94歳となった現在は、自宅マンションの1階にある書道教室で講師をしています。

岸さん

「本山第二小学校の市民講師も行かせてもらっていたから50年ぐらい教えている」

「人間性が出ますやんか字は。そこまで出てこないとあかん」

書道教室の生徒

「20年くらい通っている。ずいぶんと柔らかくなった」

「先生は口だけじゃなく行動される方」

岸さんは2025年11月、神戸市北区で開かれた「1・17伝承合宿」に

娘の奈緒美さんと一緒に初めて参加しました。

伝承合宿では、防災について学ぶ学生や

地元でボランティア活動に取り組む人など約40人が参加しました。

岸さん

「伝承という二文字の軸がとても印象に残っています」

最年長の岸さんは1泊2日の日程の中で、

専門家や学生らとともに記憶の伝承や次の災害に向けて

自分たちに何ができるのか話し合いました。

岸さん

「こういう機会は自分から求めないと。じっとしてたらあかんもんな」

娘の奈緒美さん

「震災の話をしたくてもする機会が減ってきている。

そういう方と話せるなら行きたいって母が言った。新聞記事を見て」

「伝えたいことが1から10、100まであるんですよ。母の中には」

岸さん

「神戸では地震が来ないという神話があったでしょ。それが印象に残っている。

神戸に地震が来たと」

震災当時63歳だった岸さんは、自宅の寝室でいつもと変わらず休んでいました。

岸さん

「やさしい地震だなと思った瞬間にぐわーってきたね。上下だったから」

「ここマンションの5階でしょ。地の底に身体が悪魔が足を引っ張っていく感じ。

ごめんごめん行かへんって夢かと思ったら夢と違った」

岸さんが住む神戸市東灘区は市内9区のうち最も犠牲者が多く(1469人)

約1万3600戸の家屋が全壊しました。

岸さんは、着の身着のままで迎えに来た娘と一緒に、

近くの本山南中学校へ避難しました。

岸さん、娘の奈緒美さん

「(マンションは)一部損壊で何とか建っていました」

「この道路、東西の道やね。この道沿いを言ったら本山南中学校がある。

ここは(道が)でこぼこで公園の隣は全部軒並みアウト」

「全部家がなかったね。2階が道路に落ちていた」

岸さんは地域の高齢者の見守りや子育て世代の相談に取り組む

「民生委員」を務めていた経験をいかし、避難所ではリーダーとして、

近隣住民の安否確認や救援物資の分配など幅広い仕事を担いました。

地震発生から2、3日が経った日、

全壊した木造文化住宅から発見された遺体を巡ってある事件が起きました。

岸さん

「間違ってお母ちゃんの遺体が連れて行かれてしまった。連れて行った先が分からな

いと相談を受けた」

岸さんはすぐに遺体安置所となっていた体育館に駆け付けました。

岸さん

「遺体安置所の雰囲気は静寂と怒号とが相反する様子だった」

「外ではどわーって言っている。中ではしーんとして静寂、物音ひとつしない」

岸さんの当時の活動をまとめた文集が残っています。

「安置所の遺体は増えに増えていく。警官や監察医の従来が激しく、中に入れない」

「『民生委員です。遺体の誤認があり大変な事です。ゴニンです。一度親族に確認させて下さい。頼みます』警官の胸元を掴んでいたと思う」

「胸元を掴んだのはそりゃ大変だと思うから 一刻も早く身内の方に確認して欲しい」

現場に重たい空気が流れる中、普段から地域住民と交流し

名前や顔を覚えていた岸さんの証言が事態を解決に導きました。

岸さん

「『髪の毛が長かったか 染めていたか』私の証言が決め手になった。

自分の遺族が分かっていない方が多かったと思う、その頃は」

その結果、「誤認」だと分かり

遺体は親族のもとに無事引き取られたといいます。

岸さん

「一番それが、大きな大きな思い出として胸に残っている」

また岸さんの文集には避難所を運営する中での苦悩も記されていました。

「夜のプールの水汲み、凍てつく足元、ゴミの焼却、トイレ消毒清掃、巡回等々夜のミーティング報告、不満と要求もエスカレート」

岸さん

「赤ちゃんの鳴き声とか人の怒号とか『痛い痛い』と訴える声とか、体育館に行くと後遺症というか体が覚えている。身震いする。」

過酷な環境だったという避難所で岸さんの大きな支えになったのが「ボランティア」の存在だったといいます。

ある写真を見つめる岸さん

「名前は谷村尚祐くん。彼は学生ボランティアとして同志社大学から来て

ボランティア活動していた優秀な学生」

「物資の配布とかしていただいた。

若い人はその頃、名簿作りとか先駆的にやってくださった」

「20年くらい会ってない、会いたいわ」

連絡先が分からなくなって20年。

名前だけを頼りに谷村さんがどこにいるか探した結果、

2026年になってようやく連絡を取ることができました。

岸さん

「今の気持ちはドキドキ、ワクワクよりドキドキ」

「彼もいい青年になったと思いますけど、頑張っているんかね」

オンラインで再会する岸さん

「あら谷村くん、谷村くんやね。こんにちは、お久しぶり!」

「あんたも忘れていなかんだね。誰って言われたらどうしようと思った。本当にありがとう、涙が出るわ」

谷村さんは現在、ふるさとの北海道で暮らしています。

岸さん

「震災の時はありがとう、お世話になったね」

谷村尚祐さん

「こちらこそお世話になりました」

岸さん

「大変だったよね、ボランティア元年。住民の方に怒られて、あれ忘れへんよ」

「被災者の方に偉そうに言うなって言われたことも覚えている?」

谷村尚祐さん

「僕自身、当時まだボランティアが何か分かっていなかった。

ただ何か助けたい思いで神戸市に歩いていた」

「行ってみて初めていろんなことが分かった。反省しきり」

谷村尚祐さん

「(復興が進むと)少しずつ仕事に出る方がいた。男性が昼間いなくなる。

お年寄りの方か岸さんのような主婦の方が避難所を守っていた」

岸さん

「お互いが寄り添って触れ合って人のぬくもりが感じられる避難所づくりは

いつも心掛けていた」

「今はお父さんの後継いで政治の道に進んでいるの?」

谷村尚祐さん

「今は応援する側に回っています」

岸さん

「まだ人生半分だもん。今人生100年時代だよ。50歳になって功を成さなくていい。まだ半世紀あるから頑張って!」

震災当時、市内の中学校で教師をしていた娘の奈緒美さんは、現在67歳。

震災当時の母と同年代になりました。

娘の奈緒美さん

「もう率直にすごいと思います。助けが必要だと感じたらすぐに動ける行動力がすごい。損得抜きでね。地域の中で何かできることがあるか、私も頑張っていきたい」

犠牲者などの名前が刻まれている神戸市中央区の東遊園地にある「瞑想空間」には、

民生委員時代に岸さんと交流のあった多くの方の名前がありました。

岸さん

「改めて銘板を拝見させていただいたら胸がいっぱい。私は南無阿弥陀仏しか唱えられませんが、安らかに私たちを見守ってくださいねってお願いしました」

震災から31年。

94歳の岸さんが今、伝えたいことは―。

岸さん

「命があることは伝えていく使命があると生かされているものの使命だと思っています」

「震災の痛みを伝えていきたいしボランティアでできることがあればしていきたい」

取材:サンテレビ社会報道部記者 山仲健一

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