Author Archives: sun_ana

ゆあぺディア~私とセンバツその⑥~

1992(平成4)年、第64回大会。私は高校3年生になる春を迎えていました。 いよいよ自分自身と同年代の選手が活躍する大会、私は中学時代の親友とともに準々決勝の観戦へ。 その日は朝からずっと1日、雨・雨・雨。 お目当ては … Continue reading

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ゆあぺディア~私とセンバツその⑤~

1991(平成3)年、第63回大会。私は高校2年生になる春を迎えていました。 クラブ活動、いわゆる“部活”はしておらず、センバツの時期は、ハイライト番組をすべて録画しては見直し、時には直接甲子園に行き、ペナントを4~5枚 … Continue reading

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ゆあぺディア~私とセンバツその④~

1990(平成2)年。入場行進曲は相川恵理さんの「約束」でした。大阪では「国際花と緑の博覧会(通称:花博)」が開かれた年。私は高校生になりました。その③でも触れましたが、前年の61回大会は受験勉強をしながらのテレビ観戦が … Continue reading

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ゆあぺディア~私とセンバツその③~

昨年のセンバツは東邦高校が優勝しました。「平成最初と最後の優勝」ということで大いに話題を呼びましたよね。 平成最初というと、1989年。当時、私は中学3年生になる春を迎えていました。 ということは・・・、そう、高校受験に … Continue reading

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ゆあぺディア~私とセンバツその②~

「松田くん、すごいなあ」という兄の言葉に、最初は戸惑うばかりでした。 1985(昭和60)年、鮮明に残るセンバツの記憶。小学5年生になる春。 「松田くん」とは報徳学園エース、松田慎司投手。 聞くと、兄とは西宮市内の小学校 … Continue reading

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ゆあぺディア~私とセンバツその①~

私の一番古いセンバツの記憶は、1984(昭和59)年。 当時、小学4年生になる春でした。 兵庫県西宮市に生まれ、小学校入学と同時に大阪へ。 ですから、近畿勢、特に大阪代表を応援していました。 第56回大会、優勝候補は2年 … Continue reading

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器用かつ大胆

「カラフルやなあ」。 最初はそんな印象。 黄色に茶色に薄いブルー。 「でも、それ、グローブ?」 次にそんな印象。 「え、それ自分で結んだん?」 聞けば、びっくりの印象。 元オリックスバファローズ、近藤一樹投手。 縁あって … Continue reading

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2015年の縁

初めて“少年”に出会ったのは2009年の夏。 少年は背番号2ケタの高校1年生、甲子園を夢見る高校球児だった。 「いい1年生がいますよ。“華のある”投手ですわ」 現在は東洋大牛久監督の堀口監督(当時、東洋大姫路高校監督)は … Continue reading

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信じてます

「前回よりと立場も代わって、本当に期待してるんですよ」 仕事仲間から最近聞かれた言葉だ。 私は前回からずっと期待している。 岡崎慎司―。 自身2度目のW杯。もう間もなく開幕を迎える。 このコラムでも何度か書いているが、初 … Continue reading

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和衷協同(後編)

13年ぶりの選手権となった神戸弘陵。 結果は、2回戦敗退。 沖縄・那覇西戦、0-3から1点差に追い上げる展開。 ベンチもピッチの選手も、そして応援席が一体となって戦う姿に 負けはしたが、ベンチリポートをしながら感動してい … Continue reading

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