【特集】病気を経て見つけた使命 兵庫県警 車いすの男性警察官

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  • 吉田優太巡査長

  • 直轄警ら隊などを経験した吉田さん

  • 朝来市にいる父とLINE電話で話す様子

  • 須磨警察署で働く吉田さん

病気の後遺症によって車いすでの生活を余儀なくされた警察官がいます。
一度はキャリアを絶たれながらも警察官としての使命を果たそうとする男性を取材しました。

後遺症で左半身が不自由に 車いすの警察官

午前9時、須磨警察署に元気な声が響きます。警務課に所属し、電話交換手としての役割を担う吉田優太巡査長(40)です。
【兵庫県須磨警察署 警務課 吉田優太巡査長】
「後遺症の関係で早く喋れないというのがあるのでゆっくりはっきり喋るようには心掛けています」

【兵庫県須磨警察署 警務課 冨田清人警部補】
「吉田君に報告に漏れがないかを常にチェックしてもらって私が忘れていた場合もあるので『今日までなんですけど大丈夫ですか?』って注意喚起してくれて頼りにしてます」
【兵庫県須磨警察署 山本隆美副署長】
「朗らかな雰囲気があるので職場を明るくするタイプ」

吉田さんは2012年に脳幹部海綿状血管腫を患いました。手術を受け、腫瘍を切除しましたが、左半身には震えや運動機能障害といった後遺症が残りました。
手術からおよそ10年経つ今も、車いすでの生活を余儀なくされ以前のように歩くことはできません。

駐在所勤務の父の背中 憧れ追いかけて警察官に

警察官になったのは24歳の頃。須磨警察署に配属され、交番勤務や直轄警ら隊など現場で経験を積みました。
【脳腫瘍で後遺症を負った吉田優太さん】
「小学校3、4年生の時に親父が駐在所勤務だった。その姿を目の当たりにしてかっこいいな、自分もなりたいなというのがあってなった。正直ここまでひどいとは思わなかった。1年くらいで歩けるようになって復帰できると思っていたけど、思ったより後遺症がひどくて、今悪いやつが来ても自分の身も守れないし、市民の身も守れないからそれは警察官として価値はないのかなと思いました」

道半ばで断たれた警察官としてのキャリア。復帰を果たしたのは手術から3年後の2015年のことでした。以来、少しでもできる仕事の幅を増やそうとリハビリに取り組んできました。この日は人や車が行きかう実際の状況を感じようと屋外で歩行の練習を行いました。

【脳腫瘍で後遺症を負った吉田優太さん】
「はじめてここまでの距離を歩いた。昔は無理だなという距離も別に恐怖感はなかったのでレベルアップしているんですかね」

警察官として再び歩みだす その背景にあった両親の支え

警察官として再起の道を歩む吉田さんを支えているのが両親です。
【吉田さんの母・ゆき子さん】
「主人が『行ってやれ』と言ってくれたんですよ。一人で生活するのはあの体では難しいと思ったので思いきって田舎から出てきたんです」

復帰してからの7年間、母のゆき子さんは、家事など身の回りのサポートをするために吉田さんとともに。元警察官の父、正二さんは実家がある朝来市に。両親は互いが離れても息子の復帰を後押しする道を選びました。

【吉田さんの父・正二さん】
「お前、警察官になるって言って7回も受験して失敗してやっとなったんやから。せっかく受かったというのもあるし、できるだけ応援したいなというのもあるし。病気したらしょうがないと思っていたけど、お前が復帰したい、続けたいって言うからしょうがないわ。そこまで言うんだったら」
【脳腫瘍で後遺症を負った吉田優太さん】
「正直、自分一人だったら復帰できなかったと思うからさ」
【吉田さんの父・正二さん】
「しょうがないやんか。まぁ、親としては当然のこっちゃ」

遠回りをしてでも 「病気を経てみつけた使命を果たす」

【兵庫県須磨警察署 警務課 吉田優太巡査長】
「初めの方は警察官は現場で悪いやつを捕まえるのが仕事だと思っていたので障害を持ってそれだけじゃない警察官像が見えてきました。縁の下の力持ちで同僚を助けることが県民の助けにもつながっていくと思うのでそこれからも頑張っていこうと思います」

復帰後に重ねてきた年月は病気になる前の警察官人生を超えました。
病気を経て見つけた警察官としての使命を全うするために遠回りしながらでもゆっくり、着実に歩んでいきます。

 

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