『蒼月抄』(花組/宝塚大劇場)を観たヨー

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 当コラムは例によってネタバレ全開につき読者各位におかれましてはご注意のほどよろしくお願い申し上げたし。

 

 初っ端で泥を吐いておかないといけないが、私は大河ドラマ『真田丸』がフィーバーしていた頃、大河視聴中の夫に「真田丸って誰?」と訊いた女である。真田丸は人ではない、と聞かされたときの驚きは今でも新鮮に覚えている。それくらい歴史の素養がない女is私だ。

 さて、この歴史の素養がない女が平家物語をテーマにした『蒼月抄』を観た、今回はそういう話である。

 平家物語ならこの辺は基礎教養として分かるよね、的なお約束は私のようなタイプには通用しない。何しろ「真田丸って誰?」の者である。

 今回の驚きポイントは「見るべきほどのことは見つ」ってこの人が言ったのかぁ~。である。恐いだろう歴史オンチのこのポテンシャル!

 先生方におかれましては有名な題材を採ったからといって油断しないでほしい、宝塚の赤い座席にはこのレベルの人間が座っていると心得てほしい。自分のポテンシャルまだまだあります、歴史好きを唖然とさせて見せます!

 

 というわけで限りなくまっさらな状態で観劇し、まず思ったのは「美しい絵を連ねた絵巻物のようだな」ということである。舞台美術として見せたい印象的な絵がいくつかあり、それに芝居で筋立てを添えつつ、という感じの作品に思えた。

 絵がとにかく美しい。叙情も恐怖もハッとするような絵力がある。繊細な美術はセットの細部に至るまで拘りが感じられる。が、どんな絵を見せてもらえるかということを詳細に書き連ねるといくらネタバレ全開とはいえあまりにも全開が過ぎるということになるので憚られる。

 そして、絵と絵の間が十二年などけっこう大きい単位で豪快にスキップするので、歴史の素養がない私のような者には展開の把握がやや難しかった。

 多分飛んだ時間の間に紆余曲折があって、以前はこう言っていたこの人物の心持ちが現在このように変わったのだろうな、と想像しながらふわふわついて行く。

 無学な者も何となく導いてくれる演者の芝居の力に感謝である。

 

 一番難しい役だったのは、何と言っても平家が滅びるまで物語に伴走した平知盛(永久輝せあ)だろう。歴史というものは歴史上のトピックだけ並べても物語にはなり得ない。それは単なる縦糸だ。そこに生きる人間の生き様が横糸になって初めて受け手が咀嚼できる絵巻が織られる。

 平家の滅びの絵巻を最も長く苦しく紡いだのは知盛だ。

 愛する者や親しい者を見送りながら、また時に置き去りにしながら、知盛は平家の滅亡に伴走し続ける。滅亡に向かう濁流の中でのたうち、死ぬに死ねず身をくねらせ、くねらせる度に多くの武士(もののふ)や朋輩を大量に死なせる「平家」は、断末魔に苦しむ龍のようだ。

 あたかも巨大な自我のようなその龍は平清盛(英真なおき)が生み出した。生み出した者はもはやこの世におらず、巨大な故に誰も手綱をかけることができず、どうにかしなければと一族の誰もが思いながらどうにもできない。

 巨大な自我と化した瀕死の龍を介錯するにはやはり巨大な自我が必要で、しかしそれほどの強固な自我を清盛の子供たちは誰も持ち得ない。龍が息絶えるときまでただ伴走するしかない、その辛く長い道行きを任されたのが父・清盛に最も愛された知盛だ。

 清盛亡き後の不吉を予言した明子(星空美咲)が知盛の伴侶となったのも、父・藤原忠雅(紫門ゆりや)の画策があったとしても一つの運命だったように思えてならない。

 清盛という騎手を失った自我の龍は長くのたうち多くを不幸にする、不吉な予言はそのことをこそ言い当てていたのだろう。

 清盛の生み出した龍を厭うていた明子は、しかし知盛を愛し、彼が父という運命から託された辛い道行きに寄り添う。

 

 滅びに抗っていた一族はいつしか滅び方を模索するようになる。平家の名の守り方を何度も説く知盛の異母弟・平重衡(聖乃あすか)は、当然その手立てを誇りある死に見出しただろう。

 源氏から提案された和睦を拒絶せよと強く言い残す重衡は、もはや現世を見限っている。おそらくは南都に火をかけ、多くの寺社や民を焼いたときから。

 南都を焼いたとき、祟りで清盛が死んだことは皮肉である。最も苦しむべき男があっさりと楽に死んだ、その始末のツケを支払うのは遺された一族だ。

 もしかするとその憤りは遺された者たちの中にじわじわと蓄積されていたのかもしれない。

 

 一族の中で武勇に長けた猛将・平教経を演じるのは極美愼だ。知盛の従兄弟でもある。

 組替え前に星組で最後に演じた邪空という役を咀嚼し血肉にしたことが今回の教経から感じられた。

 平家が滅びに行き詰まる中、彼だけが武芸に活路を見出しており、戦わずして何の武士ぞという信念に揺らぎがない。

 平家の滅亡がどうとか知らぬ、取りあえず俺を戦に出せという血気盛んな脳筋ぶりが実に清々しかった。粗にして野だが卑ではなく、どこまでも真っ直ぐな好男子である。

 

 清々しいといえば物語の中でこの教経のライバル的なポジションに現れる源義経(希波らいと)もそうだ。

 近年エンタメでこの解釈が増えてきた人格破綻バーサーカー型義経だが、これが実に清々しく野蛮。こちらは粗にして野であり卑も辞さぬイメージ。惜しむらくは壇ノ浦で舟の漕ぎ手を射殺す非道のエピソードがカットされていたことだが、もし脚本にあればきっと清々しく非道をやり遂げたことと思う。

(非常に個人的な趣味の話で恐縮だが、『ドリフターズ(平野耕太/少年画報社)』の源義経を希波らいとで観たい! 極美愼は同・土方歳三でお願いします。読んだことがない人は読もう、大体納得してもらえると思う)

 

 鮮烈な舞台美術で魅せてくれた一ノ谷の合戦は、あり得ない奇襲で平家を翻弄する義経と、翻弄されつつ武人の胆力を手放さぬ教経の激突が痛快だった。

 ところで実際の一ノ谷の地形をご覧になったことがある方はおられるだろうか。

 あの断崖を騎馬で駆け下った義経は本当に頭の線が二本か三本イッている。こいつに指揮権を渡した頼朝はちょっと反省すべきだと思う。馬もここを下れと鞭を入れられてさぞ困ったことであろう。私が馬なら「マジで? ここを? お前バカなの?」と義経を何度か振り向いている。

 それもあって近年の人格破綻バーサーカー型義経はけっこう史実に沿ったキャラ造形ではないかと思う次第だが、希波らいとは本当に似合っていた。何というか絶対に死にそうにないデタラメな生命力が。

 義経に従う梶原景時(侑輝大弥)と梶原景季(夏希真斗)も、やはり纏う剛毅な気配が平家とは全く性質の違う源氏という勢力の台頭をよく現していた。

 

 さて、この一ノ谷で敗走した平家の軍を海に逃がす段取りを受け持った知盛だが、共に戦場に立った息子・知章(美空真瑠)も年若にして凜々しい武人であった。平家の武士として戦いたいとたっての願いで戦場に立った知章は、まだ少年らしさが抜けきらぬ初々しさであったが、父を庇って壮烈な討ち死にを遂げる。

 何なら経験の浅い息子を守ってやらねばくらいに思っていたに違いない知盛は如何ばかり打ちのめされたことだろう。

 その後、源氏より持ちかけられた和睦をあり得ぬと一蹴したのも、平家の誇りを戦に見出して死んだ知章を思えば当然のことだ。

 おそらくこのときには知章に恥じぬ武人としての死を希求しはじめていたのではないか。

 そして、それこそがコントロールを失った平家の自我の龍にとどめを刺す意志に育ったのではないか。

 

 しかし平家随一の穏健派である棟梁、兄・宗盛(一之瀬航季)は源氏からの和睦の申し入れを呑む意志を見せる。平家の誇りはどうなると反駁する知盛に現実を見ろと叱咤する。

 誇りなど既にない、軍は既に疲れ切っている。日頃が温厚だからこそその叱咤は痛烈だ。部下たちも宗盛の判断を支持する向きがほとんど。その疲弊した軍を奮い立たせる材料を知盛は持たない。

 そこに駆け込んできたのが一ノ谷の退き口の殿(しんがり)を務めた教経だ。一緒に殿を支えた重衡の伝言を伝える。たとえ囚われた自分を交換条件にされたとしても和睦に応じてはならぬ、平家の誇りのために戦え、それこそが後の世に平家の名を遺す唯一の道である――

 教経の口を借りた檄文である。死を賭した訴えは疲弊した一族を奮い立たせ、歴史は壇ノ浦の合戦にコマを進める。

 

 惜しむらくは、冒頭あれほどたおやかで優しく、南都の焼き討ちを苦悩していたはずの重衡が、誇りある檄を飛ばすに至る心の濃やかな段階が絵巻の間に畳まれてあまり描かれていないことだ。絵と絵の間の空白が大きいため、ふと虚を衝かれる瞬間がある。これは重衡に限ったことではなく、物語に寄り添う時間が多いキャラクターほど感じられた。

 絵は本当にどの場面も余さず美しい、しかし美しいという視覚情報に人は慣れる。視覚情報が最大のアドバンテージを発揮できるのは圧倒的に初見である。二回目からは分かっているものを待ち受ける姿勢に変わる。

 もちろんそれでも充分に心を震わせる絵であることは確かなのだが、初見の圧倒的なアドバンテージを更に更にと積み増していくことができるのは絵の中に生きる人の感情であり、人が紡ぐ物語だ。鮮烈な絵は二回目からは「絵の裏側」あるいは「絵の下塗り」が重要になる。そしてその「裏側」「下塗り」こそが物語だ。

 演者はみな絵と絵の間の感情を最大限届けてくれたし、余白を埋める力に唸った。だが、脚本段階でもう少しその物語を能動的に展開してくれたらこの素晴らしい作品の強度がより増したのでは、と物語派の私などは思ってしまう。

 視覚情報の咀嚼力が弱い一観客の弱音である、許されたし。

 

 さて、今までのたうつ瀕死の龍に寄り添い続けた知盛の順番がようやく来た。龍の断末魔に愛する者を奪われ、苦しみ続けた知盛は、解き放たれたように壇ノ浦を縦横無尽に舞う。鮮烈な絵を背負い、平家の武士の力を見せつける。

 この戦場で命を落とすことは明らかなのに、恐れも怯みも何もない。鬼神のような戦いぶりはようやく死ねるという喜びにすら感じられる。

 父の呪縛を断ち切り、見るべきほどのものは見つと叫んだとき、父の遺した瀕死の龍を知盛はついに討ち取った。

 平家の巨龍を生み出したは清盛の自我(エゴ)であったが、葬ったのは愛する者や一族の死を背負い続けた知盛の覚悟であった。

 その戦いは壇ノ浦の浜に残してきた明子が後の世に伝えてくれる、であればこそ知盛は龍の頸を掻き切ることができたに違いない。

 俺の死に様を見ていてくれ、一緒に死にたかった妻にそれは身勝手で残酷な頼みだ。しかし、武士にとって最愛の妻だからこそ頼める願いだ。

 

 平清盛の傲慢を喝破した明子が龍の滅びを見届けたのは、やはり運命だったのだろう。

 龍は傲慢であったが、しかし知盛と明子の愛を生んだ。知章という勇敢な若武者を生んだ。重衡の苦悩と覚悟を生み、宗盛の穏やかさを育み、教経の猛々しい清々しさを育んだ。

 清盛が傲慢を御することができていれば、あるいは――無限の巻き戻らぬもしもを巨躯に秘め、龍は壇ノ浦に沈んだ。

 我々がそれを知るところになったのは、愛する者から語り部を引き受けた明子の献身による。

 祇園精舎の鐘の音、諸行無常の響きは壇ノ浦の潮騒にこだまして美しい絵巻は閉じた。

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