私を沼まで連れてって①

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 私は商業活動をしている作家である。

 名前は有川ひろという。

 

 さて、友人を「リアルで定期的な付き合いがある人」と定義すると、私には友人と呼べる作家が数人いる。

 その一人に言われた。「あなたがタカラヅカ沼に落ちるまでがあまりに怒濤だったから、その様子をエッセイで読んでみたい」

 これはやるとなると片手間でちょちょいと遊びがてらに綴れる文字数では済まない、ちょっとした連載になってしまう。さすがに仕事を放棄してまではやれない。

 かといって仕事にしようとすると出版社は「エッセイは売れ行きがちょっと」「原稿料がちょっと」とご時世がしょっぱいのでなかなか実現しない。そもそも私は定期的に締切が襲ってくる連載が嫌いなので、連載枠をもらえたところでいきなり嫌になって投げ出す可能性がある。

 しかし友人が願ってくれたことでもあるし、彼女が言うとおりなかなかの怒濤ではあったので記録として残しておきたい気分はある。

 いっちょ同人誌でも出すかと思ったが、同人誌もきちんと作ろうとしたらスケジュール管理が要る。同人活動をしている電撃文庫の先輩作家もいるが、入稿だ搬入だと忙しそうで、怠惰な私にはとてもこなせそうにない。そもそもその先輩はとんでもなく勤勉でこまめだ、私が同じ土俵に乗ろうなどと考えただけで神が怒って雷に打たれる。

 私は愛猫を愛でることとタカラヅカを観ること以外にできるだけ余計な時間を割きたくないのだ。何なら仕事も猫とタカラヅカの次、二の次どころか三の次である。

 ではどうするか。うだうだ迷っているうちに光陰矢のごとし、沼落ちしてから三年が経った。ひょんなことからサンテレビに何でも好きなことを書いていいコラムの枠をもらえることになった。ネット連載なのでスケジュールも割と自由になるらしい。

 友人よ、待たせた。私の怒濤の沼落ちをついに語ろうではないか。

 

 宝塚市、それも宝塚大劇場まで散歩圏内という土地に住んでいながら、今までタカラヅカにはハマらず来た。何故ハマらず来れたのか今となっては分からない。というのはやや嘘で、ちょっと思い当たるフシはある。
 私は人の顔と名前を覚えないことに定評があり、二、三度会って話したくらいの人でも平気で忘れる。かなり交流があった人でも空白期間が長いと忘れる。たぶん脳の構造が人を覚えるように出来ていないのだ。人物に割り振られている記憶容量が多分ファミコンくらいしかない。もしかしたらファミコンに「バカにするな」と怒られるかもしれない。

 そんな私にあのタカラヅカの独特のメイクは識別のハードルが高すぎる。しかもヅカメイクを落としたらまた別の端正でナチュラルなお顔が出てくる。一人につき二つずつ顔を覚えなくてはならない。脳に搭載されているのがファミコンの私には難易度が高すぎる(ちなみに家庭用TVゲームは3DマップがRPGに登場してから脱落した。一度ダンジョンに入ったら似たような洞窟の景色ばかりで二度と出てこれなくなったためである。同じ理由でPlayStationから脱落した人がいたら教えてほしい)
 人の顔を覚えるという負荷がかかる趣味に生まれつき徹底的に向いていないのである。だからアイドルや芸能人にハマったこともない。
 自分の作品が映像化されたこともあるが、主演をやってくれた人でさえ髪型や服装、映る顔の角度が変わると怪しい。TVを観ながら「これは○○○○さんだね」「●●●●さんだね」と自信満々に言って「全然違う」と夫に否定されたことが何度もある。

 夫は私と真逆で一度顔を見た人を有名でも無名でも絶対に忘れない人なので、芸能マネージャーとかにめちゃくちゃ向いていると思う。新宿で漫画家の西原理恵子さんとすれ違ったという話を聞いたときは脳に何かの認証チップとかが入っているのではないかと思った。TVに出るのが仕事の芸能人ならともかく、ときどきTVに出ていらっしゃるとはいえ漫画家さんの顔が都会ですれ違っただけで分かるというのはチップを積んでいないのなら妖怪の一種だと思う。妖怪「お前の顔覚えたぞ」。
 チップを積んでおらず妖怪「お前の顔覚えたぞ」でもなく人物認証の性能がただただ純粋に低すぎる私が作家として人前に出るときに粗相をしていていないのは、横に影(シャドウ)のように張りついている編集者が「○○さんです」「××のときの方です」と囁き女将のように囁いてくれているからだ。囁き女将よりはだいぶ上手に囁くので相手にバレない。もう誰も覚えていないか、囁き女将。

 さて、一人につき美しいお顔を二つ覚えなくてはならないタカラヅカは私の脳の性能にとてつもなく向いていない、というのがここまでのお話である。
 それがどうして今さらタカラヅカに、というと元は仕事の絡みであった。
 当時、「不定期・更新は完全に俺の気分」というネット連載をやっていた。

 担当編集や読者さんからお題を募集して短編を書くというお遊び企画だったのだが、ここで初代担当編集者から「リモート会議で何かいい感じの話」というざっくりしたお題が出た。
 ――と、ここまで書いたところで字数もまあまあになって力尽きた。
 タカラヅカにハマった核心は次回に持ち越したい。

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