センバツで頂点目指す!プロ注目右腕の原点とは~兵庫・東洋大姫路高 阪下漣投手~

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  • 東洋大姫路・阪下漣投手

  • センバツ決定直後

  • 東洋大姫路・岡田龍生監督(左)と阪下漣投手(右)

  • トレーニングに励む阪下漣投手

  • センバツ出場を祝う垂れ幕

■甲子園で見た“レジェンドの大記録”

「金本知憲さんの2000本安打、僕、球場で見たんです」

昨年の阪神タイガース入団発表の場。ドラフト4位で指名された町田隼乙捕手が発したコメントである。

彼が、金本氏と誕生日も同じと聞いて、二重の驚きだった。

それから、約1か月後。またしても、大記録に立ち会えた選手に話を聞くことができた。

3年ぶりに全国選抜高校野球大会に出場する兵庫・東洋大姫路高校で、背番号「1」を背負う阪下漣投手である。

「鳥谷敬さんの2000本安打を甲子園で見たんです。確か、三塁側のアルプス席の真ん中あたりだったと思います」

2017年9月8日。

球団では、1983年の藤田平さん以来となる生え抜き選手による歴史的な瞬間を、阪下少年(当時:小学4年生)は、目撃していたのだ。

「あと1本で節目というのは知っていたので。今は記録の偉大さは分かりますが、

その時はあまり凄さは分かっていなかったとは思います(笑)でも、見られて本当に嬉しかったのは覚えています」

すでに野球を始めていた阪下は、必然的に、甲子園球場に憧れを抱くようになる。

「できるなら、あそこで野球をやってみたい!」

しかし、これまで、一度もプレーする機会には恵まれなかった。

■横浜戦で公式戦“初黒星”

昨年の秋、東洋大姫路は近畿大会を17年ぶりに制し、明治神宮大会でもベスト4まで勝ちあがる。

惜しくも神奈川・横浜高に延長タイブレークの末、敗れはしたが、今後の躍進を予感させる戦いぶりを見せた。

その中心となったエース阪下は、地区予選中に、右手首骨折というアクシデントに見舞われ、約3週間ボールを握れない時期があったものの、埼玉西武・高橋光成投手の動画を数多く見て、投球フォームの微調整の時期にあてた。

夏前から140㌔、145㌔、そして147㌔と球速は、日を追うごとにアップ。

復帰後の県大会から、近畿・神宮大会の結果を受けて、全国でも一気に注目される存在となった。

「横浜戦は、一番のヤマ場だと思っていました。だから、負けて本当に悔しかったですけど、反省点や課題が一番くっきり表れました。

通用したところもです。自分の中で、今回の選抜は、これまでの野球人生で最大の舞台といっても過言ではありません。

もちろん、神宮(大会)で優勝したかったですが、今は甲子園で優勝できるくらいの力をつけるための過程だったという風に前向きにとらえています」

1年生の春からメンバー入りという阪下にとって、入学後、公式戦での“初黒星”となったが、涙は出なかった。

“リベンジの舞台は甲子園で”と心に誓って、冬を過ごしている。

■野球で流した“唯一の涙”

そんな阪下が、唯一、野球で涙を流した試合がある。

それは小学生5年生の秋、兵庫県・西宮市の浜脇タイガースに所属をしていた頃だ。

相手は、同じ地区でしのぎを削る浜脇シャークス、場所は「甲子園浜」球場。

1学年上の6年生にとって、最後に迎える大きな大会にも関わらず、阪下は先発投手に抜擢された。

小学2年生から野球を始めたが、それまでは捕手・一塁手が主なポジションで、本格的に投手に転向した直後だった。

「僕の記憶では、投手として初先発だと思います。勝てば全国とか、そういう試合ではなかったんですけど、

先発を任されて、責任感と緊張感が相当あったのは覚えています」

阪下の好投もあり、試合は互いに譲らぬ接戦となったが、惜しくも、浜脇タイガースが1-2で敗れた。

完投しながら、初めて投手として味わう挫折・・・、気づけば、自然と頬に涙が伝わっていた。

「野球で泣いたことはこの一度きりです。今までの野球人生で、一番悔しくて、一番泣きました。

自分が泣いてしまったら負けやと思っていたんですけど、やっぱり勝手に涙が出てきたというか、

止まらなかったです。下級生なのに、先発を任された責任を果たせなかったので・・・」

“極端な負けず嫌い”と自己分析をする阪下にとって、公式戦初先発での初黒星。

これが、投手・阪下漣の“原点”となった。

「ただ悔しかっただけでは終わっていません。あの試合で、僕自身、野球の最大の魅力と思っている“団結力”を強く感じました。

何より“最後まで諦めない心”を学べました。終盤に逆転されて、自分の心が折れそうになった時があったんです。

でも、先輩の捕手の方が“お前は悪くないぞ”と声をかけてくれて。その一言で、踏ん張れたというか、まだいけるという気持ちになれたので。

野球選手として、投手として、大事なことを最初に教わりました」

記憶を胸に刻み込むため、阪下は、この試合を自身の卒業文集の題材にした。

また、大切な試合の前夜に思い出すことも度々あるという。

■甲子園で“新たな歴史”を刻む

阪下に初めて会って、まず驚かされたのは太ももの大きさ。

「今は65㎝です」というこの強靭な下半身が、150㌔近い速球の源である。

さらに、この冬は、できるだけ体脂肪を減らし、体重をキープしながら筋肉量を増やすというテーマに取り組んでいて、経過も順調なようだ。

「(筋肉量は)すぐにグッとは上がらないですけど。一日一日を大切にしていけば、(結果は)いい方向に出ると思います」

すでに、1月上旬時点(取材時)で143㌔をマークし、実戦開始の1か月半前の時点で「昨年に比べて球速は伸びている」と、手ごたえを感じている。

東洋大姫路は、かつて「夏の東洋」とも呼ばれた(1977年には全国制覇)強豪だが、近年は甲子園での勝利から遠ざかっている(最新は、ヤクルト・原樹理投手を擁した2011年夏)。

周囲からは「東洋復活」を期待する声も大きいが、チームとしては「新生」のイメージが強いという。

「(動画で)かつての全国制覇も見ました。あとは、乾(元日本ハムなど)さんの代の夏の決勝も(2006年兵庫大会、逆転サヨナラで優勝)。

ただ、どちらかというと、自分たちがもう一回“新しい歴史を作る”という気持ちで大会に臨む気持ちが強いです」

新たなという意味では、阪下は最近、グラブを新調した。そこに刻まれている言葉は、“百戦錬磨(数々の実戦を経験して、鍛え上げられることの意)”。

「本来の意味とはちょっと違うんですけど。やっぱり、練習で磨かないといけないことも、たくさんあります。

練習して練習して、僕自身、とにかく“負けない投手”を目指していきたい。横浜戦(の負け)があるからこそ、もっと練習しなければいけない。

もっともっと。これから、100回戦って、100回とも勝つという意味を込めてです。そのために、(確固たるものを)築き上げていきます」

兵庫県の高校野球界は、近年も変わらず好投手を輩出している。

昨年も、村上泰斗(神戸弘陵学園→ソフトバンクD1位)投手・今朝丸裕喜(報徳学園→阪神D2位)投手がプロ入りを果たした。

彼らを偶然、球場のブルペンで見る機会もあり、その球質もさることながら、「勝ちにこだわる姿勢」が印象に残っているという。

小学生時代の涙から、高校での初黒星まで、すべて、自身の成長の糧としてきた。

初の聖地でどんな投球を披露するのか。

その球速・技術もさることながら、阪下の“勝利への意識”に、注目してみたい。
(サンテレビ 湯浅明彦)

<プロフィール>
阪下 漣(さかした・れん)

2007年7月5日、兵庫県・西宮市生まれ。17歳。
浜脇タイガースで小学2年時から野球を始める。浜脇中時代は、西宮ボーイズでプレー。
東洋大姫路高では、1年春からベンチ入りし、1年秋から背番号「1」。
2年秋に近畿大会優勝、明治神宮大会ベスト4。
最速147㌔の直球とカットボール・スライダーなどが特徴。
183センチ、88キロ。右投右打。

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