淡路島北部を震源に1995年1月17日に発生し、6434人が亡くなった阪神淡路大震災についてです。震災から28年、地震発生直後の神戸市東灘区を撮影した記録映像が新たに見つかりました。
【M7.3 阪神淡路大震災】
1995年1月17日午前7時ごろの神戸市東灘区岡本7丁目の映像です。甲南大学に避難するまでの様子が記録されていました。
【翌日の1月18日の東灘区の映像】
撮影者「怖い。俺らが行った風呂屋や。うわっ、これ1月16日に行った風呂屋?むちゃむちゃやん」
大渋滞の国道2号。自衛隊が長い列をなして徒歩で東の方向に向かう姿が記録されていました。
撮影者「うっわー。大丈夫かこれ!?」
【下宿先はぐちゃぐちゃ ベッドの上には家具が】
サンテレビに映像を提供した51歳の男性。当時、甲南大学の学生で下宿先には、社会人の友人2人が泊まっていました。
男性「彼ともう1人の友人はベッドで寝ていた。僕もテーブルのところで勉強をしていたので、ものは倒れてきたんですけど無事だった。底が抜けたのか天井が抜けたのかどっちかだと思って」
大阪から泊まりに来ていた友人が8ミリカメラを所有していてカメラを回しました。友人が寝ていたベッドの上には、家具が覆いかぶさっていました。
撮影した友人「私はこたつとたんすの間にちょうど入れて。そこで助かった。倒れてきたというより飛んできた感じ」
友人は岡本7丁目にある男性の自宅周辺を撮影。隣の家が倒壊していました。
3人は荷物を抱えて近くの甲南大学に向かい、2日間、避難しました。
撮影した友人「体育館だったのか広い教室やったのか。雑魚寝でみんなで寝て」
【友人の自宅は大丈夫か?バイクで向かう】
翌日の1月18日。もう1人の友人(あだ名:ミタケン さん)は、東灘区にある自分の家の様子が気になり、
バイクを走らせました。
撮影した友人「うわ!これすごいな。橋こんなふうになっているんや。怖い」
海手側、南の方向に進むにつれて被害の状況がより深刻に。
【友人の自宅は全壊していた】
御影石町にあった友人のアパートは全壊していました。
撮影した友人「家に到着しました。えらいことになっているな」
2階の自分の部屋に窓から入ろうとしました。
撮影した友人「ミタケン気を付けや」
つぶれた1階は空き家でした。
撮影した友人「ミタケンの家がボロボロに壊れています。これは気まずいです」
友人は、避難所の甲南大学に戻ることにしました。
【あちこちで家が倒壊していた】
友人「帰ります。(どこも)同じですね。むちゃくちゃ。どこもかしこも。うわっ怖っ。これ1月16日に行った風呂屋?むちゃむちゃやん」
【国道2号は大渋滞 徒歩で東の方向に向かう自衛隊の列が延々と続いていた】
国道2号にさしかかり、東の方向に進むと。
撮影した友人「異様な感じでしたね。自衛隊さんが歩いているところが一番非日常やったな。
あの行列の感じがね」
友人「うわっ。大丈夫かこれ?あかん。降りていこう」
友人「すごい行列や。こっちの方まで来てなかったからな」
【28年間眠っていた震災映像 地元のテレビ局に提供した方がいいのではないか】
サンテレビに映像を提供した2人
男性がサンテレビに託した1枚のDVD。8ミリテープをダビングしたもので、この映像は28年間自宅に眠らせていました。
映像を提供した男性「ある知人に見せたところ、貴重な映像だからぜひ提供した方がいいんじゃないかというふうに言われてそうかなと思いながら」
寝具を抱えて避難する子ども
友人「なんか…。被災者。ほんまやな。まさかこんなふうになるとはな…」
28年間映像を公開しなかったのは、明るく会話した部分があったことや、被災者を撮影したことへの後ろめたさでした。
撮影した友人「貴重な映像なのかもしれないですけど、見たくない人がいらっしゃるんだろうなと思いますし。(カメラを)構えて撮っていないのはそういう部分もあると思いま
す。手に持ってただ歩く感じになっている。例えば家族を失った方がいらっしゃるということになってくるとそれはよくないかなという気持ちが働いたんだと思います」
【メディアが撮影した映像とは違うもの】
震災や空襲など記録史料の研究に携わる神戸大学大学院人文学研究科 学術研究員の佐々木和子さん。阪神淡路大震災後、人と防災未来センター(神戸市中央区)に所蔵されている震災映像や資料の収集に携わりました。
佐々木和子さん「日常のと言いますか。私たちがよく言う典型的にメディアが入って、『この辺の被害は』と映しているのと違うような状況が出てくる」
報道では、これまで映像にインパクトのある神戸市長田区の火災や阪神高速道路が倒壊した映像が繰り返し放送されてきました。
佐々木和子さん「神戸市の東灘区、芦屋の辺りは非常に建物の倒壊率の高い。揺れで被害を受けたのが大きかった地域だと思っています。その辺りの北部のいわゆるあまりこれまで撮影などが行われてこなかった普段の地域の動画資料が出てきたというのは意味があるんじゃないかと思います」
東灘区の死者は1469人で神戸市内の9区の中で最も犠牲者が出た地域です。サンテレビにも東灘区のさまざまな被災映像が記録されていますが、地震発生直後の岡本周辺の映像や細い路地にある住宅の映像は記録されていません。
佐々木和子さん「震災から28年。提供される方のお話が聞ける。いつどこでどなたが撮って、こういう時間にこういう被害があったというのが映されているという意味で皆さんにも見ていただけるのに意味のある資料ではないかと思います」
サンテレビは、子どもたちの防災学習や震災研究に役立ててもらうと、神戸大学大学院人文学研究科と神戸大学付属図書館震災文庫と3者で定期的に会議を開き、サンテレビの震災映像のデジタルアーカイブ(震災文庫ホームページ)に取り組んでいます。今回の東灘区の映像については、3者で協議を行ったものではありませんが、サンテレビは、デジタルアーカイブ学会の肖像権ガイドラインを参考にして映像を公開しました。